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<オリンピック4位という人生(13)>
北京五輪 バド女子スエマエペア 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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posted2020/07/19 09:00

<オリンピック4位という人生(13)>北京五輪 バド女子スエマエペア<Number Web> photograph by AFLO

中国ペアを倒し、北京五輪で4位に入賞した“スエマエペア”。2人の活躍が現在の日本バドミントンの隆盛に繋がっている。

北京五輪1年半前の“事件”。

 相手が金メダリストであり、世界ランク1位であることもそうだが、何よりそれはこの競技における「中国」という響きへの拭いがたいコンプレックスだった。

 1992年に五輪競技となって以来、メダルを取ったことのない日本に比して、中国は2000年代に入ってからほぼ表彰台を逃したことがなかった。とくにダブルスでは圧倒的で、金、銀、銅を独占したこともあった。だから、こうした劣等感は前田だけでなく、当時の日本人プレーヤーの誰もが抱いていたものだった。

 その根深さが露呈したのが、このゲームから遡ること1年半前に起こった、ある“事件”だった。

 '07年1月のマレーシア・オープンでこの世界最強ペアと対戦した末綱と前田は第1ゲームを奪い、第2ゲームを20-10とリードして、勝利まであと1ポイントだった。

 だが、そこから11連続ポイントを奪われ、結果的に敗れた。そんなことはバドミントンという競技においてはほとんど起こりえないことであり、前田の競技人生においても初めてのことだった。

 なぜそんなことが起こったのか。明確にわかるはずもなかったが、前田にはかすかに思い当たることがあった。

《あのとき、あと1ポイントで勝てるという場面で相手を見たんです。そしたら表情が変わっていないというか、自分たちが負けることなんて全く想像していないという顔に見えたんです。なぜ、この状況でそんな顔ができるんだろうと、急に不安になったのを覚えています……》

 真相がどうだったのかは知る由もないが、確かにそう見えた。とくに小柄な楊維の鉄仮面は絶対的優位なはずの前田の心をひどく怖れさせた。それは反面、前田が自らの勝利を信じきれていないことの裏返しだった。そして最終的には、この心理の優劣のままに勝敗はひっくり返った。

とにかく少しでも長いラリーを。

 あのゲームの後、勝利のイメージの大切さを知った前田は何度も何度も自分たちがあの中国ペアに勝つ瞬間を頭に思い浮かべてきた。ただ、いくら脳内に描いても、いざコートに立つと、それが現実になると心底から信じることはできなかった。

 第1ゲーム、ほとんど自分の力を出せなかった根っこを辿ればそこに行き着く。

 だから前田は叫んだのだ。

《とにかく少しでも長いラリーをしよう。負けるとしても少しでも長くこの舞台にいたい。1球でも多く打ちたい。あのときはもうそういう気持ちになったんです》

 どうせ跳ね返される壁ならば、せめてありったけをぶつけて散ろう。前田はこの叫びによって勝敗から解放されていった。

【次ページ】 かつてなら分裂した状況のはずが。

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