話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
1年で戦力外の元プロ選手が開発、
サッカー選手専門マッチングサイト。
posted2020/06/19 19:30
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
PLAYMAKER
「PLAYMAKER」という、サッカー選手とクラブを結ぶマッチングサイトがある。
同サイトは2015年にスタートし、現在は高校生からプロ選手、指導者を含めて男女約1100名、72チームが登録。プレーする機会を求めている選手、実力と可能性を持つ選手がほしいクラブ、両者の思惑が一致することで年々、契約数が増えている。
また昨年のJPFAトライアウトでは選手向けの講話をするなど、その認知度と需要は確実に高まってきている。今後、日本サッカー界の移籍において主流になるのではと言われている「PLAYMAKER」はどのように生まれ、今も成長し続けているのだろうか。
「長野を新卒で1年でクビになったのがスタートです」
「PLAYMAKER」の生みの親である三橋亮太氏(株式会社I.D.D.WORKS代表取締役)は、こう切り出した。
三橋氏は、高校時代からプロサッカー選手になることだけを夢見て、毎日練習に励んでいた。大学4年の時にAC長野パルセイロのセレクションを受け、合格。2010年、背番号4のユニフォームを身にまとって開幕スタメン出場を果たし、堂々のプロデビューを果たした。
だがシーズン後に待っていたのは、わずか1年での契約満了だった。
「自分ではまだやれると思っていたので、チームを探しました。でも、人伝てに聞いてもなかなか取り合ってもらえないほどでした。最終的にアルティスタ東御(現・浅間)というクラブに移籍できたのですが、自分にオファーをくれるチームを増やすことができないかなと感じたのが、このサービスを思い付いたキッカケですね」
Jリーグのサッカー選手の多くは代理人と契約しているが、第一種登録選手(大学・一般)18万人の選手のうち、99.5%は代理人のサービスが利用できていないという。そのため契約満了となってもチームを探すのは容易でなく、三橋氏の構想は、その一助となるものだった。
働きながら独学で学ぶ2年半だったが。
しかし、今までサッカーしかしてこなかったので事業やサービスを作るのは未知の世界である。人から話を聞いても何を言っているのか分からない。協力してほしいと仲間を募っても訴求するだけの力もプランもなかった。
「そのために、自分で学ぶしかなかった」
朝5時に起きて7時まで起業と開発の勉強をし、8時から18時までは印刷工場で働いた。19時から21時までチームの練習に参加し、23時頃家に戻って、0時に就寝。その生活を休みなく続けたが、状況は進展しないまま2年半もの月日が流れた。
「進展しなかった主な要因は、開発資金となるお金の調達ができなかったからです。自分でやるのには限界があるので、スポーツ選手が考えがちなスポンサー探しをしていました。この事業はスポーツ界にとって必要なもの。なので協賛してくれる企業が絶対にあると思って営業をしていましたが、甘くなかったですね。思えば物乞いのような営業ばかりでした」