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無観客試合のブンデスで考える、
“フットボールの魂”はどこにある?
text by
本田千尋Chihiro Honda
photograph byGetty Images
posted2020/05/27 20:00
バイエルンvs.フランクフルトの試合風景……静まり返った巨大スタジアムに選手の声とボールを蹴る音だけが響く。
“祝祭空間”に必要なもの。
マティアスが記した「フットボールの魂」とは、何だろうか。
それは、観衆が生み出す感情の螺旋のようなものではないか。スタジアムを埋める観客の熱は、ヒリヒリするような空気の中、選手たちがボールを奪い合うことでさらにヒートアップする。時間が許す限り続く激しい攻防の末にゴールが決まると、出口を求めて蠢いていた熱は絶頂に達する――。
僕たちは、集団で営む社会生活を維持するために、動物的な衝動を抑え込みながら、日々の暮らしを送っている。だが、そうした太古の昔から抱え込む荒ぶる衝動を定期的に解放しないと、どうやら人という動物は精神のバランスを保てないようだ。よって人間は、日曜日に出かける遊園地やサーカス、毎年のようにやってくるお祭り、カーニバルを必要としているのかもしれない。さらに巨大なものになると、もしかしてもしかすると……戦争のような戦いまでも。
見方によっては、新型コロナウイルスのような感染症の拡大に対抗するための措置であるロックダウンも、そうした社会の歪んだ“祝祭空間”と捉えられなくもない。そして、こうした果てしないエロスとタナトスの闘いの中に、フットボールも含まれるのである。
この表現が大袈裟でもなんでもないことは、優に億を超える世界中の人々を巻き込むワールドカップを想像してもらえれば分かるだろう。
つまり、ざっくり言ってしまうと、無観客試合では“カタルシス”が産まれないのだ。
衝動が湧いてこない試合とは……。
ボールの行方に目を凝らし、泣き、叫び、喚く。言葉にならない原始的な衝動が、僕の胸の奥から湧いてこない。
テレビ画面の中では、トーマス・ミュラーやロベルト・レバンドフスキといった超一流選手がゴールを決めているにもかかわらず。
そして途中、3点をリードされたフランクフルトが、敵地でバイエルンを相手に1点差まで追い上げたにもかかわらず。