酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
初代Mr.タイガース藤村富美男の、
17年間も埋もれた大記録って何?
posted2020/05/28 07:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
5月28日は初代ミスター・タイガース、藤村富美男の命日だ。1992年のこの日、藤村は75歳でこの世を去った。
藤村が現役引退したのは1958年だから、彼のプレーを生で見た世代は、ほぼ後期高齢者になっているはずだ。もちろん筆者も知らない。
筆者が知っているのは「新・必殺仕置人」の「元締・虎」役としての藤村だ。半眼で睨みを利かせているが、めったに口を開かない。でも恐ろしく迫力があって、悪人の頭をこん棒(バット?)でかち割っていた。ドラマでは時々、現役時代のプレーシーンがインサートされていた。
筆者はここ数年、広島県呉市の野球を取材していた。その中で藤村富美男と南海ホークスの大監督、鶴岡一人が同い年で、呉市内のごく近い場所で生まれたことを知った。
アニメ映画「この世界の片隅で」の主人公のすずさんが、広島から呉にお嫁に来る少し前の時代だ。すずさんの嫁ぎ先は呉駅東側の山中だが、藤村、鶴岡は呉市街の西を流れる二河川近くで生まれた。
鶴岡と藤村、当時の呉の階層。
彼らは近所だったが、なぜか違う小学校に通った。鶴岡は五番町小学校、藤村は二河小学校だ。
2つの小学校は今、統合されて呉市立呉中央小学校になっている。両校の跡地を歩いたが、歩いて10分ほどの距離だ。なぜこんな近くに小学校が2つもできたのか?
「呉は海軍工廠で持っていた街です。五番町小学校は、海軍呉工廠の技師や技官などが自分たちの子弟を通わせるために寄付を集めて設立した学校(※編集註:創立時は呉市第八尋常小学校)です。のちに公立になりました。これに対して二河小学校は普通の公立小学校です。2つの学校は、通っている子供の階層が違っていたんです」
呉市の図書館で話を聞いた郷土史家はこう言った。
つまり、呉工廠建築部の技師の息子だった鶴岡は「いいところの子」が通う五番町小学校に通い、同じ呉工廠勤務だが工員の子だった藤村は庶民が通う二河小学校に通ったのだ。
藤村の生涯を追うと、常に鶴岡一人をライバル視していたのではないかと感じることがしばしばある。その原点は小学校時代までさかのぼるのかもしれない。