酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
初代Mr.タイガース藤村富美男の、
17年間も埋もれた大記録って何?
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2020/05/28 07:00
物干しざおと表現されたバットで快打を放ち、甲子園のスターとなった藤村富美男。背番号10は阪神の永久欠番だ。
日本シリーズには出場できず。
鶴岡一人が、戦後3度もMVPを獲得しながら1952年にあっさり引退し、南海ホークスを強豪に育て上げ史上最多の1773勝を挙げる大監督になったのとは対照的に、藤村は指導者としては選手の人望を得られなかった。また日本シリーズにはついに出場できなかった。
その後1958年に選手として復帰。これによってこの年ルーキーの長嶋茂雄との対戦が実現したが、この年限りで引退した。以後、国鉄で打撃コーチ、東映で二軍監督を務めるも(漫画「巨人の星」には藤村がチラッと出てくる)、一軍監督の声はかからなかった。
以後、藤村はラジオの解説などを務めた。口が重く訥弁だったが、どすの利いた声が記憶に残っている。
晩年、彼の贔屓だったある会社が藤村を顧問で雇ったことがあり、社長は藤村を得意先などへ連れまわした。あるとき先方が藤村に話しかけた。藤村は口を開こうとしたが、社長に「あんたは答えんでもよろし」とピシャッと言われて押し黙ったという。哀感漂う話だ。
奔放な野生児の魅力は、グラウンドでこそ発揮されたのだ。
こういう人、今時いない。初代ミスター・タイガースが無性に懐かしい。