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ロンドン五輪に学ぶ。あのサラーも
抑えた、徳永悠平「いつもどおり」。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byFIFA via Getty Images,Asami Enomoto(in the article)

posted2020/06/01 11:30

ロンドン五輪に学ぶ。あのサラーも抑えた、徳永悠平「いつもどおり」。<Number Web> photograph by FIFA via Getty Images,Asami Enomoto(in the article)

ロンドン五輪のエジプト戦では、今や世界最高のストライカーの1人であるサラー(左)を抑え、3-0の勝利に貢献した徳永。

韓国は割り切った戦い方をしてきた。

 戦い方を使い分けられ、相手やコンディション、その状況に合わせてミッションを成功させていく強さ。同じ戦い方、同じメンバーで勝ち上がってきた日本とは、戦い方の幅という点で差があった。徳永にとってもショッキングな敗戦となった。

 戦いは終わりではなかった。44年ぶりの銅メダルを懸けて、中2日での韓国戦が待っていた。気持ちの切り替えの部分で時間が掛かったと徳永は言う。韓国の選手には兵役免除も懸かっていた。

「少なからず喪失感があって、すぐに気持ちを切り替えてというのは難しかった。疲労感もあったとは思います。勝っているときは感じなくても、負けてしまったことでそういうのが出てしまうのはあることなので。

 それよりもピッチ状態が悪いなか、韓国はボンボン蹴ってきて、割り切った戦い方をしてきた。負けて悔しかったけど、結果を受け入れるしか仕方がなかった」

 スタイルを貫いたものの、メダルを掴むことはできなかった。

勢いプラス何かがなきゃいけないんだろうな、と。

 徳永は少し間を置いてから再び語り始めた。

「短期決戦なんでパッと勢いをつけて戦うことは重要。あまり期待もされていなかった自分たちがスペインに勝った勢いを力に変えていくことができましたから。

 ただ、メダルが懸かる最後のところはそれだけじゃまだ足りないってことなのかもしれない。勢いプラス何かがなきゃいけないんだろうな、と。

 でもみんなよくやったとは思います。いい意味で主張しあって、雰囲気もずっと良かった。ウェンブリーで戦えて最高でしたし、素晴らしい経験になった。あのサラーともやっていたんだなって(笑)」

 悔しさ半分、嬉しさ半分。どれほどの財産になったことか。

 関塚からのオファーをもし断っていたら、今の徳永はなかったのかもしれない。

 迷ったら、一歩前に踏み出す。

 入団以来14年間プレーしたFC東京を離れ、地元長崎に戻ってV・ファーレンに加入した決断もそうなのかもしれない。

 いつもどおり自分がやれることを全力で。

 不変の価値観は、あのロンドンの経験によって揺るぎないものになったのだから。

<ロンドン五輪連載第2回「清武弘嗣」、第3回「関塚隆」は下の関連記事からご覧になれます>

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