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「スーパーサッカー」27年の歴史。
なぜMCは徳永英明、加藤浩次に?
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byTBS Television
posted2020/05/24 19:55
スーパーサッカー27年の歴史を知り尽くす元プロデューサーの名鏡康夫氏。
フットサルを大々的に扱ったのは初?
――スーパーサッカーは、「バナナキング」や「ボレーの虎」の企画モノ、「崖っぷちランキング」とかのコーナーも充実していますね。
「崖っぷちは、J2降格というレギュレーションが出来たので始めました。崖から落ちるみたいな変なフリップを使って、曲もおどろおどろしい感じにして『落ちるのは恐いよ』というのを印象付けるようにやったんですが、おかげさまで評判は良かったですね。
あと、個人的にはフットサルの企画が印象深く残っています。今は『スパサカオールスターズ』というチームで対戦企画をやっていますけど、最初は『コモエスタ赤坂』というチーム名でやっていました。これは、フットサルを盛り上げてほしいとサッカー協会に頼まれて始まったんです。当時はプロのフットサル選手がいないので水沼(貴史)さんとかマリーニョに来てもらってやりました。
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1996年の全日本フットサル選手権は日産カップという大会で有明で開催されたんですが、その時は決勝戦が前座で、メインはコモエスタ赤坂の試合だったんです。お客さんがけっこう入って大盛況でした(笑)。今ではフットサル対戦企画とかは普通ですし、フットサル自体リーグが出来てプロ選手もいますけど、これは当時だからできた企画で思い出深いですね」
企画は、年間スケジュールを見て、オフシーズンは何をするのか、というのを大枠で決めていたという。支持されるのもあれば、数回で消えていくのもある。消えていく企画の上に支持される企画が成り立ち、それが番組の視聴率を支えていく。独自の企画と独特の試合VTRの両輪が「スーパーサッカー」の軸になっていったのである。
(【後編】「スーパーサッカー」元Pが語る。終了危機、ライバル、YouTube。 を読む)