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「スーパーサッカー」27年の歴史。
なぜMCは徳永英明、加藤浩次に?
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byTBS Television
posted2020/05/24 19:55
スーパーサッカー27年の歴史を知り尽くす元プロデューサーの名鏡康夫氏。
西田ひかる、三井ゆり、白石美帆。
初期から中期にかけてのスーパーサッカーで特徴的だったのが、女性アシスタントだった。西田ひかるは知名度のあるタレントだったが、その後につづく三井ゆり、白石美帆は新人アシスタントとして起用された後にブレイクし、芸能界で活躍するようになった。
――三井ゆりさんの起用のキッカケは。
「スタートした時にネスレ日本の1社提供だったんですが、番組で生CMをしていたんですよ。その時、商品を紹介していた3人の女性のうちのひとりです。三井さんはかわいかったし、性格も良かったので、CMでサヨナラするのはもったいないなと思って起用しました。
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アシスタントの経験はないですけど、CMが出来ていたのでしっかりしていましたし、生島さんがうまくリードしてくれたので特に心配はなかったですね。サッカーについて理解を深めてもらおうと思って彼女が審判になる企画をやってもらったら『サッカーの女神』と言われてブレイクしました。それは番組的に大きかったですね」
――次の白石美帆さんもブレイクしました。
「白石さんは、1998年の夏ごろにオーディションを受けてもらって最後に残った3人のうちのひとりでした。まだ女子大生で、しゃべりはどうかなぁと思っていたんですが、溌剌として明るいですし、うちの番組のトーンに合うかなと思いました。
最初は何もできなかったので生島さんに手伝ってもらいながら話し方を学んでもらったり、あと現場にどんどん連れていきましたね。メディアや選手、チーム関係者に会って話をして、それでみんなに可愛がられるようになっていきました。
2006年に卒業したのですが、他番組のMCや女優にも挑戦して売れっ子になって(笑)。そうなるとスーパーサッカーの白石美帆と紹介されることが多いので番組の宣伝にもなり、相乗効果で彼女も番組もいい波に乗れたと思います」
MC徳永英明という異色の人選。
現在のスーパーサッカーのMCは、加藤浩次氏(極楽とんぼ)だが、実は3代目になる。初代は生島ヒロシ氏、そして2代目はミュージシャンの徳永英明氏だった。この独特の人選は、名鏡氏のテレビマンとしての感覚であり、センスでもあるが、かなりの冒険でもあったはずだ。
――サッカー番組で徳永さんのMC起用は、かなり異色でした。
「当時、徳永さんは報知新聞でサッカーのコラムを連載していたんです。それが面白くてダメもとでアプローチしてみようということで連絡をしたら『明日、大阪でライブがありますが来られますか』と言われて、すぐに行ったんです。
食事をしながら話をして、最初は『司会はしたことない』と難しい表情していたんですけど、サッカーの話をしているうちに乗ってきて、話が決まりました。木梨(憲武)さんやジョン・カビラさんの名前も挙がったんですが、生島さんの明るく快活なイメージからMCの雰囲気をガラリと逆転させて、毒みたいなものがあっていいかなって思ったんです。そういう考えってテレビ屋の悪いところなんですけどね。2001年1月に徳永さんでスタートしたのですが、5月には“もやもや病”により倒れてしまったので、そこは残念でした」