オリンピックへの道BACK NUMBER
水泳ジュニア五輪杯中止から考える。
今、子供たちが1人でやるべきこと。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2020/05/17 20:00
2015年、ジュニア五輪杯春季大会の女子400mフリーリレー決勝。チームメイトを見守るアンカーの池江璃花子。
池江は「楽しい大会ですよね」と語った。
池江は、「楽しい大会ですよね」と語ったことがある。
幅広い年齢が集う全国大会だからこそ、生まれる楽しさであり、そして競技において刺激を受ける場であったかもしれない。
日本代表のヘッドコーチの平井伯昌氏は、端的にこう語っている。
ADVERTISEMENT
「小学生の子とか、トップクラスの選手を見る意味って大きいと思うんですよ」
その言葉を思うと、なおさら、10歳以上も年齢が異なる選手が集まる全国大会の意義、そしてそれが失われる意味も考えずにいられない。
水泳に限った話ではない。すでに30以上の競技が実施される予定だった全国高校総体(インターハイ)が中止となり、それに伴い都道府県の総体も中止を余儀なくされた。
中止となった喪失感、失われた場の大きさは、指導者や直面する選手たちから、多数語られている。競技におけるモチベーションの面、進路の面などさまざまな面からその影響が語られている。
一個人で状況は変えられない。
失われた場は、そこにかかわる人々にとっては、とても大きい。いつ、どのように以前の日常を取り戻せるのか、不安に苛まれるのは当然だし、失意に沈むのも無理はない。
でも、一個人で状況は変えられない。
ジュニアオリンピック杯を何度か取材した立場で言えば、あのような、さまざまな年代が、さまざまなカテゴリーで活動する選手が一堂に会する場の損失は小さくないことは想像できる。
その場でしか得られない体験もある。インターハイも同様だ。チームスポーツであれ、個人競技であれ、変わりはない。個人競技でも、そこで得られる刺激は小さくない。