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4年の月日をかけ迎えた絶頂期。
瀬戸の“真の笑顔”は1年後に。
~ポジティブ思考こそが武器~

posted2020/05/12 07:00

 
4年の月日をかけ迎えた絶頂期。瀬戸の“真の笑顔”は1年後に。~ポジティブ思考こそが武器~<Number Web> photograph by AFLO

昨年の世界選手権優勝で競泳五輪内定1号に。今年1月には日本代表選手団の公式服装会見にも登壇していた。

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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AFLO

 銀座を埋め尽くす人、人、人。80万人が集った'16年10月7日のリオデジャネイロ五輪・パラリンピックメダリストによるパレードに、彼の姿はなかった。リオ五輪競泳男子400m個人メドレーで銅メダルを獲得した瀬戸大也は、史上最多41個のメダルを獲得した五輪組から離れ、一足先に東京五輪に向けてスタートを切っていた。

 選んだのは自費参加の競泳ワールドカップ(W杯)。北京、ドバイ、ドーハの短水路W杯を転戦するため、9月に日本を出発し、パレード当日は中東にいた。当初はオフに当てているはずの時期だったが、休みを返上するのに迷いはなかった。金メダルの萩野公介と表彰台で並んだリオ五輪で、笑顔の奥に悔しさを募らせ、その瞬間から4年後を見つめていた。

「タフなレースをすることで強くなることができる」。たぎる思いを多くの試合にぶつけ、W杯ではそのシーズンに14勝を挙げた。W杯の遠征費用は100万円以上かかったが、終わってみれば約1000万円の賞金を手にし、個人トレーナーをつけるなど水泳にすべてを投資した。

「東京五輪までは一つも後悔のないように、やりたいことは全部やる。そして目標の金メダルをつかむ」

ポジティブ思考こそが彼の武器。

 その決意通りに着実に力を伸ばした瀬戸は、'19年世界選手権で200mと400mの個人メドレー2冠を達成し、2種目で東京五輪の代表内定を得た。同年12月20日には短水路の400m個人メドレーで3分54秒81の世界記録を樹立。勢いは“五輪イヤー”が明けてから加速し、'20年1月18日に中国の大会で200mバタフライの日本記録を12年ぶりに更新する1分52秒53をマーク。1月25日の北島康介杯では400m個人メドレーで萩野の持つ日本記録に0秒04差まで迫る4分6秒09を出した。

 絶頂期にあるスイマーの強さを存分に見せつけるはずだった日本選手権は新型コロナ禍で中止になり、東京五輪は'21年に延期された。日本水泳連盟は瀬戸の代表権を維持する方針だが、妥協を排除した日々を過ごして'20年にピークをつくることに成功した瀬戸の心中は察するにあまりある。だが、厳しい練習に耐えてきた4年間の蓄積と、ポジティブ思考こそが彼の武器だ。会心の泳ぎが見られる日を誰もが待っている。

瀬戸大也
東京五輪
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