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スポーツの「翻訳」っていったい何?
今、話題の学者・伊藤亜紗の新研究。
text by
宮田文久Fumihisa Miyata
photograph byKaori Nishida
posted2020/05/18 07:00
この絡まったアルファベットがフェンシングの本質である、と言われたらどう思うだろうか。
見えていても、全然伝えられない。
「『わからないなりにわかる』ことに関心を抱き、今までは主に芸術鑑賞の場面で考えてきました。目の見えない人と見える人が一緒に美術作品を見て、作品の見た目や印象、受け取る感覚を話し合いながら解釈をつくりあげる、という方法を、私は『ソーシャル・ビュー』と呼んでいます。
そこで気づくのは、見える人のできなさ=伝えられなさ、です。見えているものすべてを見えない人に伝える、ということにはほとんど意味がない。見えている情報すべてが必要なわけではないし、視覚以外にも情報のとり方はたくさんあるわけです。
情報をすべて100対100で置き換える、という『変換』をしたいわけではなく、お互いが面白がりながら対話し、解釈を深めていく中で伝わっていく――そうした『翻訳』をしたいんですね。『見えないスポーツ図鑑』はまさに、スポーツの『ソーシャル・ビュー』なんです」
棒を使わずにフェンシングを翻訳する。
――各競技のスペシャリストであるゲストの方々は、皆さん最初は「なんなんだ、このプロジェクトは?」という表情で戸惑いながら、徐々に楽しんで取り組まれていきました。
「トップ・アスリートや専門家の方々が知っている『正解』というものを、そのまま変換しても、多くの人はわからないと思うんです。
わからないなりにわかる、というところまで翻訳して落とし込むためには、ノーガードになってリセットしていただくというか、マインドセットを切り替えてもらわなくてはならないんですね。これは本当に失礼で恐縮なんですが、フェンシングを翻訳しようとするときに長い棒を使ってはいけないんです(笑)」
――そのまま剣のかわりになる長い棒ではいけない、と。
「それだと翻訳ではなくて、変換になってしまうんですよね。いったんフェンシングから離れることで、まったく違うもののなかにフェンシング性、その競技の本質を見出だす、ということが可能になると思うんです」