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〈素朴な疑問〉プロ野球の「珍プレー」っていつから? みのもんたが振り返る、伝説の“宇野のヘディング事件”とは

posted2021/04/12 17:01

 
〈素朴な疑問〉プロ野球の「珍プレー」っていつから? みのもんたが振り返る、伝説の“宇野のヘディング事件”とは<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

伝説となった1981年の「宇野ヘディング事件」

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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photograph by

NIKKAN SPORTS

今ではすっかり馴染んだ「野球の珍プレー」。この言葉は、今から40年前の「宇野のヘディング事件」をきっかけに生まれたと言われている。巧みな話術で数々の珍プレーを紹介してきた、みのもんた氏が当時を振り返った記事を特別に公開する。

「プロ野球ニュース」から生まれ、長年ファンに愛された伝説の番組は、いかにして必死のプレーをお茶の間の素朴な笑いに変えたのか。魅力の一端を担った司会者が、往時を回顧した。(Number1002号掲載)

 自粛、自粛の笑顔なき毎日でございます。

 新型コロナウィルスの影響で世界中が暗い空気に包まれている今日。気持ちまで落ち込んでしまいそうな人類に今必要なものは笑いの力ではないだろうか。

 苦しい時、悲しい時。どうしようもない絶望に直面し、笑顔を忘れてしまった時。筆者は必ず40年前のあの風景へと帰る。

「宇野のヘディング事件」へと。

おでこに当たったボールが異様な速さで……

 1981年8月26日。後楽園球場中日対巨人戦、7回裏2対0。巨人・山本功児がショート後方に打ち上げた打球を、宇野勝がおでこに当てた。当時の子供が“おでこからミサイルが発射された”と勘違いするほど、ありえない跳ね方でレフト最深部へと飛んでいくボール。レフト大島の慌てぶり。呆然と立ち尽くす捕手中尾。本塁を欲張りタッチアウトの山本功児のヌケで、グラブを叩きつけ猛り狂う星野仙一。何度見ても色あせない。連続写真、表情の細部、巨人完封を賭けた星野と小松の勝負や、後日慰めにメシに誘った星野の車のカマを掘る(翌日には田尾)後日談まで含め、どこをどう切り取っても笑うしか術がない。

 そしてもうひとつ。蝶の羽搏きが地球の裏側で嵐を起こすかのように、宇野のおでこがボールを弾いたことを機に、野球界に“珍プレー”という新たな概念が生まれる。

 それは2年後の1983年11月に第1回が放送される「プロ野球珍プレー好プレー大賞」へと繋がり、プロ野球はUNO前/後で違った色彩を帯び始めてゆく。

 同番組において絶対に欠かせない存在が“名人芸”と呼ばれるナレーションを担当したみのもんた氏だ。今春『秘密のケンミンSHOW』を降板し、事実上のテレビ引退となったばかりのみの氏が、おもいっきり生電話で“珍”を回想してくれた(往年のナレーションで再現してみてください)。

「今じゃ絶対に使えないことバンバン言ってね」

「宇野さん、ありましたねぇ~。おでこでボールを捕りに行っちゃってるんだからね。ただものじゃないよ。珍プレー好プレーはね、あの宇野さんのヘディングをはじめ、プロ野球ニュースで不定期に取り上げていたのが好評になって、3年分を特番という形でやってみようとなったんです」

【次ページ】 ナンシー関も絶賛した“絶妙なナレーション”

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