ラグビーPRESSBACK NUMBER
絶叫、熱狂、涙、ヤジをも知る人は
無観客でも同じように戦えるか?
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byYoshio Tsunoda/AFLO
posted2020/05/02 11:30
1月、5万7345人の大観衆の前で行われた大学ラグビー選手権決勝。選手たちのプレーの1つ1つに、熱狂した。
映像配信も奮起奮闘の一端にはなるが。
では無観客の試合や大会の放送や映像配信についてはどうなのか。奮起奮闘の動機の一端にはなる。あの中継カメラの向こうにはスポーツを愛する老若男女がいるのだから。
フィギュアスケート、体操、アーティスティックスイミングなどの採点競技は「審査員・審判員」の目を通して競い、勝利を得る。そこには「美」という要素が入ってくる。
美の優劣の背後には、ファンの共有する「これがきれい」という価値観がある。だから会場が無人でも、映像によって世界中の視聴者が「美」を判定すれば選手は奮い立つかもしれない。しかし、そうであっても拍手喝采はその場でただちに耳に響いたほうがよいだろう。
まして「対戦相手」とダイレクトに向き合うアスリートにとって目の前の観客は不可欠だ。
他者があって特定のスポーツに夢中になる自分もまたある。観客はスポーツのパートである。絶叫。熱狂。笑顔。ときに涙。「夜勤明けか」(かつての近鉄ラグビー部の駅員選手への叱咤)なんてヤジ。あれはスポーツだったのだ。
ポケットをふくらませたアラン・ラフ。
1990年。こんな出来事があった。サッカーのスコットランド代表のゴールキーパー、アラン・ラフがスーパーマーケットから出てきた。ポケットが妙にふくらんでいた。なんとミンチ肉のパックが発見される。すぐ警察に拘束された。
焦点は盗んだことにあらず。盗んだのが厚切りステーキ肉でなく挽き肉という事実だった。そこで何が起きたか。対戦クラブの応援席に『いとしのクレメンタイン』の節の歌声がとどろいた。
「ミンチ・ビーフはどこに(Where's the mince beef)、ミンチ・ビーフはどこに、ミンチ・ビーフはどこに、アラン・ラフ。そいつはポケット(It's in your pocket)、そいつはポケット、そいつはポケット、アラン・ラフ」
53試合も代表のゴール前に立った男。大金持ちはほとんどいないと推測されるゴール裏のファン。そのとき両者はつながった。あれも社会だった。
ひとときスタジアムやアリーナがすっからかんになって、あらためて観客の特権を思う。古今東西のプロ選手が「お客さんあっての私たちです」とコメントした。いま本当にそうだと気づいた。お客様は神様ではないけれど、なくてはならぬ人々だった。自分をからかう敵のサポーターだっていないとさみしい。