ラグビーPRESSBACK NUMBER
スポーツという不要で不急なものを、
人はなぜこんなに求めてしまうのか。
posted2020/03/06 19:00
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
Naoya Sanuki
世界は不要不急にあふれている。だから楽しい。
仕事の締め切りがなく、観たいと強く願う映画もたまたまなく、義務からもおのれの意欲からも放たれて、片方ずつ色の違う靴下のまま、ぼんやり道を歩く。その昼前の時間の幸福よ。
ふらっと寄った書店の棚の一冊に夢中になって、とうとう立ったまま読み切ってしまい、我に返ると外はもう暗く、初めにいた場所から無意識に約6mも左へ左へと移動していた。あの若き日の贅沢よ。
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古くから愛用の『広辞苑第二版補訂版』で「不要」を引くと「必要でないこと」。「不急」は「急を要しないこと」。つまり必要でなく火急でもない。
いま眼前のパソコンのキーボードに頼らず、机の脚元に立てかけてある分厚い辞書を抱えるようにしながら「ふ」のページをめくった。不要も不急もほどなく見つかる。でも、気がつくと、ざっと15分、広辞苑の海というか森というか深みをさまよっていた。あー、こんな言葉あるのかと。変色した付箋が残っている。
たぶん15年前くらいに調べた跡だ。なぜか「かどび」に印を貼り付けている。門火。「葬送の際に門前でたく火」。いったい、いかなる原稿に用いたのか。とうとう思い出せなかったが、なんだか、よい気分だ。
不要こそは人生と社会に必要だ。
この記事が不要不急に傾いている。少しだけ急ごう。
新型コロナウイルスの感染拡大をめぐって官邸発の「自粛」や「要請」が続いて、えらい人の「できればよろしく」は、えらくない民には「絶対」なので、スポーツの催しも中止や延期や参加の制限や無観客という決定が各団体によってなされている。必要でなく急を要さぬとされたゆえでもある。
米国のスポーツライター、フランク・デフォードに『The World's Tallest Midget』という作品集がある。『我らの生涯の最良の夏』というタイトルで1990年に早川書房から日本語訳も出版されている。
原題は、避けたほうがよい言葉も含まれているかもしれない「世界でいちばん背の高い小人」。スポーツライターのことだ。「二流でないスポーツライティングがあったら、それはすなわち、スポーツライティングではないことになるわけだ」(佐藤恵一訳)。そんなスポーツとスポーツの書き手に対する決めつけを述べている。
こんな一節が同書の序文にある。
老いたスポーツライターに孫が聞く。おじいちゃんはベトナム戦争のときはどうしていたの? 答は「NBAのプレーオフへ行ってたよ」。
古今東西、スポーツは不要不急ととらえられてきた。政治や経済の真ん中にはないからだ。しかし、今回のような例、あるいは震災や戦争によって、世の中が必要と火急の方向に動き、スポーツが消えたり、かすれたりすると、不要こそは人生と社会に必要なのだと、理屈ではなく、もっと素直に感じる。
もちろんウイルスの感染拡大を阻むための確かな措置であれば従うのは道理だ。野球も相撲もラグビーもこの世になければ人間が病に倒れるものではない。
以下、それとは別の話として「スポーツは非日常の営みだからこそ日常の異変に最初に襲われる」という事実について触れたい。