“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
J2新潟移籍GK小島亨介が見せた質。
大分での成長をJ1昇格、東京五輪に。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/02/26 08:00
開幕戦の完封勝利に貢献した新潟GK小島。東京五輪も見据えながらも、まずはレギュラー定着とJ1昇格に照準を当てている。
積み上げてきたものを発揮する場所。
もちろん、カテゴリーを下げたから試合に出られるとは限らない。新潟には昨季から守護神として君臨した大谷幸輝の存在がある。そこも理解した上で、すぐに出番を得られなくても、揺るがない覚悟があった。
「サッカー人生を振り返ると、恵まれている部分がある反面、難しい局面ばかりでした。今回の移籍も決して『試合に簡単に出られる』とは思っていなくて、どこのチームに行っても、必ずそこには守護神と呼ばれる存在がいますし、そこと競い合って奪っていかないといけないと思っていました。
ありがたいことに他にもオファーをもらったのですが、新潟は新しい監督(今季から就任したスペイン人、アルベルト・プッチ・オルトネダ監督)とコーチ陣になり、後ろからしっかりと繋ぐという大分に近いサッカーをしようとしていますし、何より新潟はサポーターの熱などを含めてJ1級の存在です。J2にいるべきチームじゃないと思いました。
それに大谷さんは技術もあり、サポーターに愛されているGKですので、厳しい競争が待っていると覚悟していました。それがあるからこそ自分も伸びることができる。競争があって、クラブの魅力があって、そして個人的に積み上げたものを披露できるチャレンジができる。クラブとしてもJ1昇格という明確な目標を持っている。それが新潟だったということです。
僕の思いとクラブの思いが合致したと思ったので、選ばせていただきました。今はここで正GKの座を掴むこと、J1昇格に貢献することしか考えていません。そうすることで東京五輪への道も自ずと拓けてくると思っています」
世代別代表常連も、大学でも控えを経験。
愛知県豊田市出身の彼は、名古屋グランパスのスクールから名古屋U18(現・名古屋グランパスU-18)まで名古屋の育成一筋で育った。U-16日本代表以降、継続して年代別日本代表に選ばれる存在だったが、そこで下されたのは「昇格はなし」という厳しい現実だった。
早稲田大進学後も、U-19日本代表としてAFC U-19選手権に正GKとしてプレーし、初のアジア制覇に貢献。翌'17年には正GKとしてU-20W杯に出場。久保建英、堂安律、冨安健洋といったこの年代のトップスターとともにベスト16進出に貢献し、世代を代表するGKと呼ばれてきた。だが、肝心の早稲田大では第3GKという位置づけだった。
「大学サッカーでレギュラーどころかベンチ入りもできていない自分が選ばれ続けて、『何であいつがいるの?』と思われているんじゃないかと思っていた。それが本当にくやしかった。でも、そう見られても仕方がないと思ったし、大事なのは与えられるチャンスを逃さないように日々の練習に全力で取り組むこと。上手くいかない時は常に怒りを自分自身にぶつけて、一心不乱に練習する。それを貫いてきたつもりです」
だからこそ、彼は所属チームで苦しみもがき、それを代表活動にぶつけていた。
「早稲田大の同期や先輩方に『腐らずにやり続けたら、絶対に身になるから』と言われてきて、それを信じてずっとコツコツとやってきた結果、4年生ではほぼ全試合に出場することができて、関東大学リーグ優勝に導けた。その成功体験があるからこそ、腐らずに継続することで何か成功が生まれると信じられるようになった。去年の1年間はずっとそれを信じてやってきました。今の自分にとってはすべて意味があると思っています」