ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
ライガーに続き佐野直喜も現役引退。
焼肉屋に届いた高橋ヒロムからの花。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byNew Japan Pro-Wrestling/AFLO
posted2020/01/21 11:30
1.5東京ドーム。ラストマッチとなった獣神サンダー・ライガーは藤原喜明、佐野直喜と写真に収まった。
試合後に決意も、去就は発表せず。
引退はドームの試合後に決意したという佐野。しかし、ドーム2連戦での佐野は、かつてライガーと対戦していた若い頃のように身体をしぼり、見事なトペスイシーダやローリングソバットを披露。ファンの多くが「佐野健在」を感じたばかりだったが、本人の思いは違ったようだ。
「ライガー選手の引退試合に呼んでもらったわけだから、僕もそれになんとか応えるべく、仕事をしながら2カ月間しっかりトレーニングをして、ここ数年では最高のコンディションが作れたと思ったんだけどね。
ただ、2日目に若い高橋ヒロム選手、リュウ・リー選手とやらせてもらって、気持ちの中では『昔のようにやろう』と思ってはいたけど、やっぱり自分の全盛期の動きをやろうとしてもなかなかできなかった。この年齢だったら違うやり方で試合をするのもいいという考えもあるけど、自分の店もあるから、どっかで踏ん切りをつけなきゃいけないなっていう思いもあったし。ここで決断したほうがいいなと思って、引退をきめたんですよ」
こうして引退を決断しながらも、1.4&1.5ドームの試合後の会見では、自身の去就については一切語らなかった佐野。そこには「今日の主役はライガー、自分はあくまでそれに華を添える存在」という思いがあった。また、今のところ、あらためて引退興行や引退式をやる予定はないとう。
「僕は引退を発表せず、人知れずフェードアウトしていってもいいと思っていたんですよ。それが最後の最後に、ああいう大きな舞台というプレゼントをもらってケジメをつけさせてもらえたので、ライガー選手や新日本プロレスには感謝しかないですね」
その才能は誰もが認めながら自己主張は控えめ。職人気質の佐野らしい、潔い引退だった。
佐野の焼肉屋に届いた花。
素顔のライガーと佐野は、ともに’84年3月3日、後楽園ホールでデビュー。ライバル抗争を繰り広げたのち、'90年以降はライガーが新日ジュニア一筋で闘い続けたのに対し、佐野はSWS、UWFインターナショナル、キングダム、高田道場(PRIDE等)、プロレスリング・ノアなど、様々なリングを渡り歩き、その生き方は対照的だった。
しかし最後の最後、1.5東京ドームで2人は同じリングでタッグを組み、現在の新日ジュニアのトップ、高橋ヒロム&リュウ・リーと対戦してリングを去った。同じ日にデビューし、36年後、また同じ日にリングを降りる。ライガーと佐野は、そんな唯一無二と言える最高のライバル関係だった。
そして佐野がFacebookで現役引退を発表した4日後、『焼肉巧真』には、花がひとつ届いた。
そこには「佐野巧真様 現役生活おつかれさまでした。新日本プロレス 高橋ヒロム」と書かれていた。
ライガーと佐野、新日ジュニアの礎を築いた2人の意思を受け継ぎ、これからは彼がジュニアを引っ張っていってくれることだろう。