スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
青学は「人間と戦術」で優勝した。
3月の立川から1月の箱根への激変。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNanae Suzuki
posted2020/01/07 20:00
青学は1区に吉田圭太を配置した。序盤に離されなければ総合力では優勝を争える、という自信の現れでもある。
原監督「これじゃ、戦えないよね」
立川ハーフといえば、青学大の選手たちが上位にズラッと並ぶのが「恒例」だった。ところが、この日のトップは吉田祐也の18位で、上位争いに絡める選手は皆無だった。
私が軽い気持ちで原晋監督のところへ挨拶に行くと、その場はたちまち重苦しい雰囲気に包まれた。
「これじゃ、戦えないよね。特に4年生になる世代に危機感がなくて。自分たちがどれだけ恵まれた環境で競技に取り組めているのか、それを理解して欲しいんだけど……。少し厳しく接して、自覚を促そうと思います」
どんな結果になろうと、前向きに総括する原監督としては、とても珍しいことだった。
事実、この後に新4年生数人が部を去る。テレビの情報番組を見ていると、戦える集団にするために原監督が大鉈を振るった……という論調に聞こえなくもないが、関係者によれば、原監督本人はかなりショックを受けていたという。
外からでは分からない、監督のナイーブな一面に触れた気がした。
11月、ヴェイパーフライを解禁。
秋の駅伝シーズンに入ってからも、なかなか結果は出なかった。
10月14日に行われた出雲駅伝では5位。ただし、この時は試合に向けての調整はかけておらず、ある程度、受け入れることが出来る結果だった。
11月3日の全日本大学駅伝では、最終区で最大のライバルである東海大に逆転されて2位。
しかし、全日本が「反攻」の始まりとなった。
それは、ライバル校が好走したのを見た選手たちが、単純な疑問を発したことがきっかけだった。
「あの学校、こんなに走れるっけ?」
その疑問を解くカギは、ナイキのヴェイパーフライにあった。
いわゆる「厚底」。しかしその本質は、接地時に前方への推進力を生むカーボンプレートにある。プレートを内蔵した結果、ソールが厚くなったという話だ。
「アディダス・スクール」である青山学院だが、背に腹は代えられない。翌週、11月10日に行われた世田谷246ハーフで、ついにヴェイパーフライを解禁した。
すると、全日本の最終区で逆転を許した飯田貴之が、激戦から1週間しか経過していないにもかかわらず、優勝。この大会をきっかけに、青学大の選手たちが続々とヴェイパーフライを履くようになり、部員たちは自信を深める。