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<特別対談 前編>
室屋義秀(パイロット)×野村忠宏(柔道家)
「勝つには技術を体に“覚えこませる”んです」
posted2019/11/22 11:00
text by
別府響(文藝春秋)Hibiki Beppu
photograph by
Tadashi Shirasawa
世界の頂点から見える風景とは、いったいどんなものだろうか?
普通の人が決してたどり着けない頂で、そんな稀有な景色を眺めることができた日本人は、決して多くはない。
エアロバティック・パイロットとして、いくつものショーやレースで活躍してきた室屋義秀と、五輪3連覇をはじめ、国内外で輝かしい実績を残してきた柔道家・野村忠宏。
この2人はそんな数少ない“頂点を知る”男たちだ。
両人の話を聞いていると、空の上と畳の上という戦うフィールドこそ違えど、王者として、ひとりのスポーツマンとして、紡ぐ想いにはどこか重なる要素が見えてくる。
対談の前編では、2人のアスリートが感じた各々の競技の印象と、それぞれの意外な共通点に迫ります。
室屋義秀Yoshihide Muroya
1973年1月27日生まれ。3次元モータースポーツ・シリーズ「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」でアジア人初の年間総合優勝を果たす。日本国内ではエアロバティックス(曲技飛行)の啓蒙の一環として、全国各地でエアショーを実施するなど活躍。
野村忠宏Tadahiro Nomura
1974年12月10日、奈良県生まれ。'96年アトランタ、2000年シドニーと五輪2連覇を達成。2年のブランクを経て'04年アテネ五輪でで柔道史上初となる五輪3連覇を達成。'15年に40歳で現役を引退後は、国内外で柔道の普及活動を展開。自身の経験を元に、講演活動も多数行っている。
室屋 野村さんが1996年のアトランタで最初の金メダルを獲られた時、僕はちょうど学校を卒業してフリーターをしていた時で。年齢も近いので「本当にすごい人がいるんだなぁ」と思って見ていました。でも、その後も2000年、2004年と連続で金メダルを獲って、もうその時は「マジか!」という驚きの気持ちでした。'04年の頃は、僕は飛行機を買って1年目という時期で、色々と非常に苦しんでいたタイミングでもあったんです。だから野村さんが頑張っている姿を見て「よし、俺も頑張ろう」と思って、憧れましたね。本当に仮面ライダーのような、ヒーローみたいな人っているんだなと思っていました。
野村 ありがとうございます。自分は少し前に飛行機レースを実際に見に行かせてもらう機会があって、その時に「アジア人初のワールドチャンピオンになったすごい人がいる」という話を聞いて、初めて室屋さんのことを知ったんです。そこからは1ファンとして、室屋さんの活躍を拝見していました。
室屋 ありがとうございます。僕はもともとはエアショー等のアクロバット飛行の操縦者なんです。もう60年以上世界選手権も続いている歴史のある種目で、操縦者の多くは技術の基本をそこで磨きます。そうしていろんな大会に参戦しながら、'09年から飛行機レースの大会にも参戦するようになりました。
野村 飛行機レースは生で見ると本当にすごいスピードですよね。目の前でグアーンと加速していって、すごい速度の中で旋回したり上昇したり。これは本当に卓越した技術と根性がいるだろうなと思いました。すごいGもかかりますよね。10Gを越えるんでしたっけ?
室屋 そうですね、いまの競技だと12Gという加圧がかかります。簡単に言うと、体が12倍の重さになる。エレベーターに乗って止まるときのGが0.1くらいなので、あの120倍の力がかかるわけです。