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柔道金メダリスト・田知本遥が伝えたいこと。
「勝つだけが全てじゃない」

posted2019/08/14 11:00

 
柔道金メダリスト・田知本遥が伝えたいこと。「勝つだけが全てじゃない」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph by

Shigeki Yamamoto

 2012年、大学4年生だった田知本遥は世界ランキング3位でロンドン五輪を迎えた。周囲のメダルへの期待は高まっていたが、結果は準々決勝で敗退。その4年後、リベンジを果たすべく乗り込んだリオ五輪で、見事に金メダルを獲得した。

 敗戦と勝利、その2つの狭間で揺れた彼女が引退した今語るのは「勝つだけが全てじゃない」という思いだった。

 ロンドンの時は目の前の試合を一生懸命やっていて、顔を上げたらオリンピックに辿り着いていた、という感じだったんです。4年間オリンピックのためにプロセスを歩んできたというよりは、目の前のことしか見られなかった時期でした。

 ロンドンが終わって、メダルを逃すと世の中は変わるんだなと実感しました。それは帰国した空港から始まっていて、メダリストとメダルを逃した選手では違う出口に誘導されるんです。それは衝撃的でした。決して反論をしたいわけじゃないんです。こういうものなんだなと受け止めたし、受け止めざるを得なかった。

 その落差を見ているうちに、勝たないと意味がないのかなと考え始めてしまって。柔道に全てを賭けてやってきて、勝つことが全てだと思ってきたけれど、じゃあ勝てなかった自分というのは、すごく価値のない人間なのか、無意味な存在なのかと、自分で自分の首を絞めるような思考回路にどんどん陥ってしまった。

 リオ大会でリベンジしたいという思いはあったけれど、ロンドンが終わって2年ぐらいはずっと勝てなくて、そもそもリオに出れるかどうかも危うかったんです。ロンドンからリオまでの4年間は私にとっては本当に長かった。

エジンバラでの日々と恩師の言葉に救われた。

 そんな私の救いとなったのは2つのことでした。

 ひとつめは2014年、スランプの最中だった私が訪れたエジンバラでのことです。当時、1カ月ぐらいイギリスで練習場所を転々としていたんですが、エジンバラで柔道家の方々がすごく優しく受け入れてくれて。メダリストでもなかったし、ただの日本人選手という認識しかなかったと思うのですが、色々な場所に連れて行ってくれて、それまで経験したことのなかったようなトレーニングを体験させてくれました。例えば大自然の中でバランスボールを投げたり、大きなタイヤをハンマーで叩いたり。すごくきついんですけど、ふっと顔を上げると豊かな緑が広がっていて。リラックスしながらも、新しいトレーニングに触れたことで、すごく刺激になりました。

 もうひとつが2人の恩師からいただいた言葉です。

 東海大学副学長の山下泰裕先生の研究室に行った時に「苦しい時こそ笑っていました。きっと希望が生まれると信じていたから」という意味の言葉が書かれた紙が貼られていたんですね。それを見て、苦しい時こそ苦しい、苦しいと落ち込むのではなく、希望を信じて前に進むということがすごく大事なのかなと思えたんです。その場で思わず「すごく素敵な言葉ですね」って言ったら、山下先生がコピーしてくださいました(笑)。

 もうひとつの言葉も東海大の恩師からいただいたもので、武将・山中鹿之助の「願わくば、我に七難八苦を与え給え」という言葉です。普通なら勝たせてくださいとか、いいことを願うところを、山中鹿之助は三日月に、どんどん自分に苦しみを与えてくれと祈った。苦しいことがあったほうが自分が成長できるという意味が込められていて、恩師からは「遥もそう思うんだよ」って言われました。勝てないし、怪我もするし、体調を崩したり、なんで私ばっかり悪いことだらけなんだと思うのではなく、よし来た!と困難をいい方向に受け止めて、どんどん来てください!という姿勢でいたほうがいいよと言われて。一時期、自分でもそう思うように心がけて過ごしたんです。もともと負けん気も強い方なので、そうするとよし乗り越えてやろう! 自分ならできる! と思えるようになった。

【次ページ】 リオに行く前から引退を決めていた。

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