才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
競泳メダリスト・星奈津美が感じた
トビウオジャパンの結束力。
posted2019/08/07 11:00
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Shigeki Yamamoto
五輪で2つのメダルを取りましたが、その時の感情は全く違うものでした。
ロンドンのときは、選考会を兼ねた日本選手権では日本新記録を出したのに、五輪決勝ではそれに近いタイムを出すことができなくて、メダルを取れて嬉しい気持ちが半分、ちゃんとタイムを出せたらメダルの色も違ったんじゃないかと悔しい気持ちが半分でした。
その2年後にバセドウ病の手術をしたんです。1歳半のときから20年以上泳いでいたのに、1カ月近く競技から離れることになって。生活の中心だったものができなくなって、最初は辛かったし、へこむこともありました。ただ、今まで当たり前だと思っていたものが、当たり前ではなかったんだと知って、水泳に対する向き合い方が変わりましたし、自分が夢に向かって努力できることのありがたみをすごく感じました。
手術をするギリギリまで軽い練習もしていましたし、退院してからも、本来もう少し様子を見なければいけなかったけれど、平井(伯昌)コーチが首元の傷を気にしつつも、できることからやろうと背中を押してくれたので、当初の予定よりも1週間から10日ほど早くプールに戻ることができました。
1カ月ほどのブランクはありましたけど、結構動けるなと思ったのが最初の感覚。小さい頃からやっていたので、体に染み付いているんだなとホッとしたのを覚えています。ただ、バタフライはどうしても呼吸をするときに頭が上下するので、首元の手術跡の影響を受けやすかったんですね。そこでコーチの提案で、シュノーケルをつけて首が動かないようにしたら、今までよりも泳ぎが安定して、新しいフォームを手に入れられた。そんな怪我の功名もありました(笑)。
悔いはひとつもなく、リオで泳ぎ切った。
正直、手術を決めたときは、リオの舞台は目指せないかもしれない、引退しなければいけないかもしれないと思っていたんです。それが無事に五輪の舞台に立つことができた。それだけで幸せを感じていましたし、力を出し切れれば満足だという考えで試合には臨みました。
リオの200m決勝を泳ぎ切ったとき、全部出し切った、自分がやりたかったことができたって思ったんです。後で試合の映像を見たら、電光掲示板で順位を確認する前から、顔がほころんでいて、安心した表情をしていて、正直な感情が表れているなと思いました。練習で、あの時もっと頑張ればよかったとか、そういう悔いはひとつもなかったので、レースで全力が出し切れて満足できました。銅メダルはおまけでついてきたという感覚でしたが、それでも、また取れたんだという喜びと重みは感じました。
選手としてはもちろん、2020年に東京五輪の舞台に立ちたいという気持ちはありました。けれどもリオから4年間、五輪を目指してトレーニングするというのは、正直しんどくてできないと思ったんです。リオで最後と決めていたわけではなかったけれど、最後の決勝のレースを終えたときに、どういう感情が浮かび上がってくるかで判断しようと考えていて、結果的に悔いが残らなかったので、これで引退できると決意をしました。