猛牛のささやきBACK NUMBER
手袋なしで竹バットを振り込む──。
交流戦首位打者・中川圭太の中学時代。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2019/07/26 11:30
交流戦での打率は3割8分6厘で、得点圏打率は4割3分2厘に及んだ。
中学時代の恩師の教え。
チームを勇気づけられる打撃とは、「食らいつく姿勢」だと中川は考えた。
「他の選手も『やらないといけない』と思えるような打席にしないといけないと思いました」
厳しいコースのボールにも食らいつき、体勢を崩されてもしぶとく安打にする。中川がそれをできるのは、タイミングの取り方とバットコントロールのうまさがあるからだ。
打席では、相手投手のタイプによって、左足を上げるか、すり足にするかでタイミングの取り方を変え、最後は巧みなバットコントロールで、難しいコースのボールもヒットにしてしまう。
中川のバッティングの土台となっているのは、中学時代に所属した泉佐野シニアの田中和人監督の指導だという。
「1からバッティングを教わりました。その3年間が土台をしっかり作る期間になったんじゃないかと思います」
泉佐野シニアでは、冬場、木製バットに特長が近く、折れにくい竹バットを振り込んだ。
「最後のPL戦士」と呼ばれたが……。
「金属バット禁止で、手袋も禁止でした。芯に当たる感覚をしっかり覚えるためにということで。ティーバッティングも素手で、打った時の感触と、押し込みというのを身につけていきました。寒かったし、手が痛かったですけどね(苦笑)」
技術的な細かい部分まで、田中監督に当時教わったことが、その後の野球人生に活きてきたと言う。
中学卒業後は、田中監督の母校であるPL学園高に進み、東洋大を経て、ドラフト7位でオリックスに指名された。
PL学園は2016年の夏の大会を最後に休部となり、中川は現在、NPBでもっとも若いPL学園出身の現役選手のため、プロ入り以降ずっと「最後のPL戦士」という肩書きがついてきた。しかしそれが、「交流戦首位打者」という称号に変わりつつある。
「それは、ありがたいですね」と中川は言う。