酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
今のプロ野球が前後期制だったら。
意外と差がつく後半戦の勝敗数。
posted2019/07/22 08:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Naoya Sanuki
相変わらず古い話をするが、パ・リーグではその昔「2シーズン制」というのを導入していた。当時は130試合制だったが、これを前後期に分けて半期、およそ3カ月でペナントレースを争い、その優勝チーム同士が5試合制のプレーオフを戦い、シーズン優勝チームを決めるというものだ。
1973年に導入されたが、この年の前期は野村克也監督率いる南海が優勝、後期は実力No.1の阪急が優勝。南海は後期には阪急に1度も勝てなかったから、プレーオフも阪急有利と見られたが、3勝2敗で南海が勝ち抜けた。世間は後期の南海は「死んだふりをしていた」と言ったものだ。野村克也が知将、あるいはタヌキ(失礼!)と言われるようになったのはこのときからだ。
このシーズン、トータルすると勝率1位は阪急(.616)、2位はロッテ(.588)、南海は3位(.540)だったが、日本シリーズに出場したのは南海だった。なお巨人には歯が立たず、1勝4敗で巨人のV9を達成させてしまった。
パの前後期制は人気が出なかった。
セよりも人気がなかったパは、2シーズン制で何とか注目を集めようとしたが、パッとしなかった。そして前述した1973年のように、一番強いと見られるチームが日本シリーズに出られないケースもあった。
なおかつ圧倒的に強いチームが出て前後期を制してしまえば、プレーオフがなくなるのも興ざめだった。事実、1976、78年は阪急が前後期を制し、プレーオフは開催されなかった。パの人気挽回策は不発に終わり、2シーズン制は1982年を最後に打ち切られたのだった。
しかし、今のペナントレースを「前後期制」で見てみると、面白いことがわかるのだ。一例として。2018年の両リーグのペナントレースを調べてみた。
現在は143試合制なので、どこで前・後期を分けるか迷う。試合数のばらつきもある。ただ、一般的にはペナントレースはオールスター前後をそれぞれ「前半戦」、「後半戦」という。これをベースにオールスター前後で分けてみよう。