F1ピットストップBACK NUMBER
F1ホンダが味わった撤退、酷評……。
13年ぶりの勝利の美酒に嬉し涙。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byAFLO
posted2019/07/02 17:30
猛烈な追い上げで逆転勝利を飾ったフェルスタッペン(左)と田辺(右)は歓喜のシャンパンファイト。
「こんなのGP2エンジンだよ!」
開幕して以降も、苦しい日々が続いた。マクラーレン・ホンダとして22年ぶりに臨んだ日本GP。入賞圏内を走行していたフェルナンド・アロンソが、ホームストレートでオーバーテイクされてしまう。するとアロンソは無線で、こう叫んだ。 「こんなのGP2エンジンだよ! 惨めだよ」
GP2とは、当時F1直下に存在していたカテゴリーで、現在のF2に当たる。つまり、「ホンダのエンジンは、F1に値しない」と言われたも同然だった。その日の鈴鹿サーキットには八郷隆弘社長が激励に駆けつけ、ホンダにとっては“御前レース”。そこで屈辱的な言葉をぶつけられながらも、ホンダのスタッフはじっと耐えた。
マクラーレンとの関係は、互いに望みを叶える日が訪れることなく、'17年限りで幕を閉じた。最後のレースとなったアブダビGPを戦い終えた現場スタッフの中には、こみ上げてくるものを抑えきれずに人目をはばからず涙する者もいた。
苦難にも歩みを止めなかったホンダ。
現在、F1の開発を行なっている栃木県さくら市のHRD Sakuraのセンター長を務める浅木泰昭は、当時の状況をよく知るひとりだ。 「あのころは、ホンダの中にも『われわれはなぜF1をやっているのか』、『お金を使ってブランドイメージを落としているだけじゃないか』と言う者もいて、F1活動に携わっている者たちにとって、とても辛い時期でした」
そのホンダのF1活動を支えたのが、今年の6月末に退任した本田技術研究所の前社長、松本宜之だった。
「これからのホンダのF1活動は、HRD Sakuraの数百人のメンバーだけでなく、ホンダのすべての研究所から、必要な人材と知見を持ち寄って戦おう」
今回オーストリアGPで優勝したレッドブルに搭載されたパワーユニットのターボチャージャーには、埼玉県和光市にある航空エンジン開発部門が有する知見と技術が反映されていた。ターボチャージャーの効率が改善されたホンダのパワーユニットはこの日どこよりも速く、マックス・フェルスタッペンはフェラーリとメルセデスをコース上でオーバーテイクし、実力で優勝をもぎ取ったのだ。