相撲春秋BACK NUMBER
「悲しみ」と「歓喜」のオヤジの涙。
朝乃山が紡ぐ高砂部屋の新たな歴史。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byKyodo News
posted2019/06/03 16:30
初優勝の翌朝、墨田区の高砂部屋で親方と記者会見に臨んだ朝乃山。
「先輩力士たちに申し訳ない」
朝赤龍の弟弟子である朝弁慶は、この場所、1年間つとめた十両の座から幕下3枚目まで番付を落としていた。4勝を挙げたが、勝ち星がわずかに足りず、1場所での十両復帰は叶わなかった。十両9枚目、4勝10敗で千秋楽を迎えていた兄弟子に、祈りを込めるかのように力水を付けたのが、朝弁慶だった。
しかし“十両入れ替え戦”として、幕下の希善龍にあえなく黒星を喫する朝赤龍。
支度部屋で報道陣に囲まれた元関脇は、「自分で(記録を)途切れさせてしまうのは、先輩力士たちに申し訳ない」と、涙を堪えていたという。
「親方、本当にすみませんでした……」
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この日の千秋楽打ち上げパーティ終盤になり、焼酎の水割りを手にしていた高砂親方の元に、意を決したように朝赤龍が歩み寄った。
「親方、本当にすみませんでした……。幕下に落ちてまで相撲を取れるかわかりません。僕は親方に出会えて本当によかった」
堰を切ったように涙をポロポロと流し、子どものように泣きながら思いの丈を伝える愛弟子に、一瞬驚いた高砂親方もまた、釣られるように涙を流す。
「おいおい、お前のせいじゃないよ。今までよく頑張ってくれた。朝青龍の引退後は、お前ひとりに負担を掛けて悪かったな。来場所からまた関取復帰を目指して頑張る姿を、若いやつらに見せてやれ。それが、関取として長年頑張って来たお前の仕事だよ」
おしぼりでその目をぬぐいつつ、師弟は互いに肩を、腰を抱きながらさらに涙にくれる。この光景を、会場の壁際に並んでいた弟子たちの誰もが、見守っていた。
なかでも朝弁慶は、自身の責任も痛感したのか――その大きな体を折るように、傍らにいる呼出しの肩を借り、いつまでも泣き続けていたのだった。
この時、幕下14枚目だった、当時の石橋――朝乃山の目にも、この光景はしっかりと焼き付けられていただろう。