相撲春秋BACK NUMBER
「悲しみ」と「歓喜」のオヤジの涙。
朝乃山が紡ぐ高砂部屋の新たな歴史。
posted2019/06/03 16:30
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Kyodo News
令和元年5月夏場所。愛弟子・朝乃山の初優勝に破顔し、現役時代と変わらぬ“大ちゃんスマイル”を見せる高砂親方(元大関朝潮)がいた。
そんな高砂親方の涙を、かつて2度、見たことがある。
1度目は、2007年8月、弟子の横綱朝青龍が「巡業を休み母国でサッカーをしていた」と波紋を呼び、騒動となった渦中でのことだった。
ADVERTISEMENT
当時、高砂部屋前にある居酒屋のカウンターの隅に陣取り、ひとりテレビを観ながら一杯ひっかけ、帰宅するのが日課でもあった親方だった。
「これまで生きてきたなかで今が一番辛いわ……」
この日、用件を伝えるべく(一席分距離を取って座り)タイミングを窺っていると、親方は唐突にぽつりとつぶやいた。
「ふーっ……。俺な、これまで生きてきた51年のなかで今が一番辛いわ……」
ふとその横顔に目をやると、高砂親方のあの細い目が赤く、どこか潤んでいるようにも思えた。見てはいけないものを見てしまった気がし、私の目からも“飲んでる酒”がにじみ出てきそうで「……はい」と一言答えたきり、思わずそっぽを向いてしまったのを憶えている。
当時、連日マスコミに追い掛け回され、相撲協会内部からも突き上げを食らっていたのが高砂親方だった。協会理事であり、広報部長。何よりも弟子の指導監督責任を問われる“師匠”でもあった。メディアを通して見る親方は、一見、悲愴感を感じさせず周囲を拍子抜けさせるほどのキャラクター“大ちゃん”だったが、
「最近、夜、眠れないんだ……。女房には言うなよ、心配するから」とも吐露したこの日の横顔を、今でも忘れられない。
そして2度目の涙は、2016年11月の九州場所、千秋楽のこと。
この日は「名門高砂部屋 138年の歴史が途絶えた日」でもある。
明治11年から実に138年ものあいだ、関取を途切れさせることなく輩出してきたのが高砂部屋だった。
2010年2月の朝青龍引退後、ひとり関取として伝統を繋いでいた35歳の朝赤龍が、とうとう幕下に陥落することが決定的となったのだ。