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<アトランタ主将の蹉跌>
前園真聖「五輪しかないのがずっと嫌だった」
posted2019/06/03 15:00

'96年3月にマレーシアで開催されたアトランタ五輪アジア最終予選。前園はメキシコ五輪以来28年ぶりの本大会出場に大きく貢献した。
text by

雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Naoya Sanuki
光に照らされた先には影が映る。
光がまぶしいほど影は濃く、深くなる。
前園真聖は自分にまとわりつく影が嫌いだった。
5年、10年と経ち、引退しても消えない“1996年アトランタ五輪日本代表キャプテン”という肩書。
「僕はそれだけを言われるのがずっと嫌だったんです。アトランタのキャプテンと言われるってことは、その後の僕の実績はないんです。あれから2005年に引退するまで10年現役を続けていたのに。そういうモヤモヤをずっと感じていた」
前園は28年ぶりの五輪出場を果たしたU-23代表のエースであり、ブラジルを破った「マイアミの奇跡」の中心にいた。そのプレースタイルは幼少時代からマラドーナに憧れて身につけたもの。足に吸いつく細かなボールタッチで、密集地帯を軽々と抜けていく。そこからフィニッシュに持ち込むことも、スルーパスを通すこともできた。ドリブラーにはとかく天才の形容がつきものだが、当時の前園もゴール前で違いを生み出せる特別なドリブラーだった。
「今でいうバイタルエリアやスペースのないところでプレーするのが好きで、そこでいかにボールを受けて前を向くかをいつも考えていた。ドリブルはどこで使えば相手の脅威になるかの選択が大事。僕は長い距離でなく、20mぐらいが速いタイプなので、緩急やリズムはすごく意識していた」
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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