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北朝鮮・平壌マラソン参戦記、後編。
10万人の大歓声が虚しく響く。 

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サハラタカシ

サハラタカシTakashi Sahara

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photograph byTakashi Sahara

posted2019/05/13 08:05

北朝鮮・平壌マラソン参戦記、後編。10万人の大歓声が虚しく響く。<Number Web> photograph by Takashi Sahara

平壌マラソンでゴールしたサハラタカシ氏。金日成スタジアムで誇らしげな表情を浮かべるが、タイムは……。

タワーに登るとレゴ的な平壌が。

 外国人向けのブックストアでは、諸外国語に翻訳された北朝鮮関連の本やお土産が売っていた。特に人気だったのがプロパガンダポスターで、飛ぶように売れていた。

 しかし北京で同じものが1200元で売っていたことと、西欧人のこの爆買いっぷりを考えるとビジネスの匂いがした。

 時間も17時を過ぎようとしているがツアーは終わらず、次は平壌タワーに向かった。空腹とフルマラソンの疲れで一刻も早く休みたかったが、他の人々はかなり元気でタワーに登ってパシャパシャ写真を撮っていた。そうか、この人達は5km、10kmしか走ってないから元気なのか……。

 このタワーだけ市内で異常に高く、平壌の市街を一望できたのだが、川を隔てて景色が全く違っていたのが印象的だった。高層ビルには薄いピンクやグリーン、黄色が多く、同じような建物が並んでいるので、レゴで作られた街のようだった。

鉄道で国境を超えるチャレンジ。

<ツアー最終日 (4/8月曜日)>
 長いようで短かった平壌ともお別れである。「北朝鮮からの手紙が欲しい」と奇特なリクエストをしてきた友人達に手紙を書く作業に忙殺され、慌ただしいパッキングになってしまった。果たして本当に届くのだろうか?

 ホテルから出発すると、持ってきたタバコを使うタイミングがなかったので、バスの運転手やらホテルのボーイに手当たり次第配った。基本的に無表情だった彼らだったが、この時ばかりは満面の笑みを見せてくれた。初日から渡すべきだったと後悔した。

 出発前から、個人的に最大の難関は北朝鮮からの出国にあると考えていた。そのハードルを最大限に下げる方法は、荷物から片時も目を離さずにいられる鉄道での出国だと考え、鉄道を選択した。もちろん鉄道で国境を越える、という経験をしてみたかったのもある。

 平壌から北京へは、平壌-丹東、そして丹東-北京と乗り換えないといけない。9時にホテルを出て、10時25分発の列車に乗った。列車は6人部屋の寝台車で、当初は後輩と2人で6人部屋を使っていた。しかしツアーで貸切のはずが、なぜか手違いでローカルの人も混じっており、2人の年配女性と部屋をともにすることになった。

 午前中なので寝るわけにもいかず、必然的に一番下のベッドに2人:2人で座る訳だが、距離が近過ぎてかなり気まずい。しかし我々の配慮を気にすることなく、ご婦人方は弁当を広げて楽しそうに談笑している。

 乗車時間はかなり長く、到着予定は17時頃だった。最初は車窓の景色を見ていたが、1時間も過ぎるとたまに牛が現れる程度で変化はなくなる。疲れていたこともあってか、知らない間に眠ってしまった。

【次ページ】 パスポート返却で謎のやり取り。

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