ハマ街ダイアリーBACK NUMBER
なぜDeNAが下関でオープン戦?
70年前の「マルハ」から連なる愛。
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byKyodo News
posted2019/03/07 17:00
1998年優勝パレードで、下関のファンから祝福を受ける権藤監督(当時)。
「ホエールズ」が消えて27年。
土井氏や稲川氏が活躍した川崎時代以降、球団は'78年に横浜市へ本拠地を移転し、「横浜大洋ホエールズ」に改称すると、'92年に「横浜ベイスターズ」、そして'11年には「横浜DeNAベイスターズ」へと変遷を遂げている。
平成の世も間もなく終わるが、下関や神奈川の人たちが愛した「ホエールズ」という名が消えて27年、もはやその存在は昭和の遺産となりつつある。ホエールズ時代のリーグ優勝と日本一は一度きり。弱いチームだったことは間違いない。
「けどね、マルハってチームは、個々の戦い方は野武士だったけど、優しい人の多いアットホームなチームだったんだよ」
親しみを込めチームを「マルハ」と呼び当時を振り返るのは球団OBで野球評論家の齊藤明雄氏だ。
「伸び伸びと野球をやらせてくれた」(齊藤氏)
エースとして活躍した齊藤氏は大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ3球団に渡り選手としてチームに所属した唯一の人物である。
「200勝を挙げた平松政次さんら先輩たちは口うるさくなかったし、僕の性格を見て伸び伸びと野球をやらせてくれた。
平松さんの言葉で印象的だったのは、僕がリリーフをやっているとき、『お前が疲れているのはわかっている。打たれたら俺たちが出ていくから一生懸命投げろ』と言われたこと。
マルハは年功序列というのがあまりなくて、人の名前を苗字ではなく、下の名前でみんな呼んでいたからね。ファミリー的なところがあったんだよね」