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<直撃インタビュー>
アレッサンドロ・デル ピエロ「革新的で、スペクタクルなチームだった」 

text by

手嶋真彦

手嶋真彦Masahiko Tejima

PROFILE

photograph byAFLO

posted2017/02/22 17:00

<直撃インタビュー>アレッサンドロ・デル ピエロ「革新的で、スペクタクルなチームだった」<Number Web> photograph by AFLO
稀代のファンタジスタが己の力を自覚した瞬間。1996年の戴冠はデル ピエロにとって特別な意味を持つ。今もきらめきを失わない名勝負の記憶を本人に訊いた。

“尋ね人”はアメリカにいた。

「昔からの計画だったんだ。いまはロサンゼルスが僕ら家族の街さ。子供たちにも、とても有意義な経験になるだろう」

 現役引退を公に明言したわけではない。フェードアウトするかのように表舞台から姿を消した稀代のファンタジスタは、アメリカでどんな日々を過ごしているのか。

「競技をやめてから始めた、いろんな活動で忙しくしているよ。それにパパをやっている。学校への送り迎えだったり、一緒に遊んだり、子供たちのそばに長くいられるのは“特権”のひとつなんだ。遠征やキャンプがなくなって以来のね」

 子供は3人。名はトビアス、ドロテア、サーシャ。姓はデル ピエロ――。

「人生って、乗り越えるべき試練に人を晒すよね。傷跡は残るけど、成長できる。僕の場合は、父の死がそうだった」

 家族優先の働き者で、無駄口はたたかず、優しい人だった。いつも行動で手本を示してくれた父は、残念ながら3人の子供たちが生まれる前に亡くなった。心に刻んできた父の教えを伝えるためにも、アレッサンドロ・デル ピエロは子供たちとの時間を大切にしているのだろう。


「よく覚えているのが、夢を叶えたユベンティーノたちの熱狂さ」

 1995-'96シーズンのチャンピオンズリーグ決勝――。取材の本題を切り出すと、デル ピエロは昨夜の話をするかのように21年前の記憶を語り出した。

「僕自身、同じ夢を見ていたからね。“ヘイゼルの悲劇”以来となる戴冠を」

 ユベントスの欧州王座返り咲きは、観客同士の衝突から39人が亡くなり、およそ600人が負傷したヘイゼル・スタジアムでの痛ましいファイナル以来、11年ぶり。決勝の舞台はイタリアのローマで、スタンドはユベンティーノで溢れ返った。デル ピエロは21歳。紅顔の美少年といった面持ちながら、すでに不動のレギュラーだった。

この記事は雑誌『Number』の掲載記事です。
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