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<名投手秘話>
捕手が語る運命の一球。~杉内俊哉(鹿児島実業)~
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阿部珠樹Tamaki Abe
posted2014/08/13 06:00
勝利して世にその名を轟かせた者もいれば、敗北を糧に成長を遂げた者もいる。頂点を目指す戦いの日々には、後にプロで活躍する投手の人生を左右する運命の1日があった。灼熱のグラウンドの真ん中で、彼らとミット越しの対話を続けた捕手だけが知る真実とは。
杉内俊哉(鹿児島実業)
1998年 2回戦敗退
「打たれて見えた負けず嫌いの本領」
◇
その1年生は体格で目立った。
「背も高くはなかったが、それよりもまず、細い。60kgあるかないかぐらいだったと思います。その華奢なやつがボールを持つとすごくて」
その目立つ左投手、杉内俊哉の球を森山泰は3年間受けつづけることになる。40人の1年生が卒業の年には16人になるほどの鹿児島実業の猛練習。甲子園は常連だったが、杉内たちが2年の時は勝つことができなかった。卒業後、社会人野球でプレーし、現在は日産自動車九州に勤務する森山は振り返る。
「2年の夏、ぼくはベンチに入ることができなかったんですが、杉内はメンバーに入って甲子園でも投げました。でも勝てずに初戦で敗退。そのあとからですね。杉内の練習がガラッと変わりました」
ボールを持った練習にはほとんど時間を割かず、ともかく走る。
「まず全員がアップとしてランニングします。これもけっこう長いんですが、終わったあと、ぼくらがキャッチボールや打撃練習に入っても杉内はずっと走っていました。一番よくやっていたのがポール・トゥ・ポール。レフトとライトのポールの間を走る練習です。シート打撃のときなんかもボールに注意しながらずっとやっていました」
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
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