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マンC移籍、板倉滉は等々力育ち。
川崎の10番を夢見た少年の13年後。
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/01/17 17:00
2018年はベガルタ仙台で活躍した板倉滉。CBとボランチをこなせる大型タイプだけに、大化けに期待したい。
下部組織では三好康児と同期。
一躍注目を集める存在となった板倉だが、そのキャリアを探ると、この年代のトップを走り続けてきたエリートというわけではない。
それは代表のみならず所属チームでもしかりで、川崎フロンターレU-18の同期には、“アカデミーの最高傑作”と称される三好康児(今季より横浜F・マリノス)がいる。2人は2015年にトップ昇格を果たしているが、先にデビューを飾ったのは三好で、4月には公式戦出場を記録。一方の板倉は、出場機会のないまま、プロ1年目を終えている。
あるとき、自分よりも先を行く三好に対する嫉妬心はないのかと板倉に尋ねたことがある。彼は屈託のない笑顔で「ないですね。あいつは最高傑作ですから(笑)」と話し、言葉を続けた。
「それに三好が試合に出たときは素直に嬉しかったです。自分としては、もっと早く三好を試合に出して欲しかったぐらい。あれを見て、自分も頑張ろうと強く思いました」
紅白戦で小林悠、大島に……。
明るく、社交的な板倉だが、サッカーに対する取り組みは、冷静だ。特にプロ1年目は、身体作りを含めて目の前のやるべきことを消化することに専念し続けていた。
言い換えれば、それだけ周囲とは力の差があったとも言える。
とりわけ、プロになってから圧倒されたのが、そのスピードだという。パス、動き、状況判断……トップチームで体験するスピードは、あらゆる意味で段違いだった。
例えば、チームでの紅白戦。
控え組の守備陣に入る彼は、大久保嘉人、レナト、小林悠というJリーグでも高いレベルを誇る攻撃陣と対峙した。ユースの試合ではその屈強な体格と当たりの強さを生かしてボールを奪っていたが、彼らの前ではその武器がまるで通用しない。プレーのスピードが違いすぎて、自分の得意とする間合いにすら飛び込ませてもらえなかった。
中盤でも同様で、対峙する中村憲剛や大島僚太からボールを奪おうとしても、いとも簡単にいなされた。そして、そんな経験を彼は楽しそうに話してくれるのである。