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マンC移籍、板倉滉は等々力育ち。
川崎の10番を夢見た少年の13年後。
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/01/17 17:00
2018年はベガルタ仙台で活躍した板倉滉。CBとボランチをこなせる大型タイプだけに、大化けに期待したい。
開門2時間前から席取り。
彼が描いて提出したのは、フロンターレの10番を着て等々力陸上競技場でプレーしている自分の姿だった。彼にとって、等々力でフロンターレのエンブレムをつけてプロとしてプレーすることこそが、一番の大きな夢だったのだ。
サポーターには有名な話だが、板倉は下部組織に入る前から、フロンターレの熱烈なサポーターである。それも、スタジアムが開門する2時間前から並んで席取りをするような熱心な少年だった。
等々力での試合観戦定位置は、バックスタンド真ん中の最前列だ。試合が終了すれば、選手バスの出待ちエリアへと一目散に走った。
なぜか。
試合後の帰り際には、選手バスに乗り込む前に、選手からサイン入りの選手カードが配られるファンサービスが行われるからだ。板倉少年は、小さい体を生かし、人だかりをかき分け柵の最前列に出て、お気に入りのエリアから大声で選手を呼び、せっせと選手カードを集めた。
どの選手からもらっても嬉しかったが、とりわけ応援していたのが、鬼木達(現監督)と中村憲剛だったという。
サポーターが選手になった。
またある時は、練習見学で麻生グラウンドに行っては、サイン集めと写真撮影に余念がなかった。中村憲剛と一緒に撮ってもらった写真は、今でも宝物だ。
そう、彼はサポーターから選手になったような存在なのである。
三好康児が“アカデミーの最高傑作”ならば、板倉滉が“フロンターレ後援会の最高傑作”とも言われる所以だ。
背番号が10番ではなく28番という違いはあったものの、フロンターレのエンブレムをつけて等々力でプレーするという少年時代からの夢の叶った瞬間が、あのプロデビュー戦だったのである。サポーターがありったけの熱を板倉に注がない理由などなかった。
この年には鹿島とのチャンピオンシップ準決勝にも先発で出場したが、試合には敗れ、悔し涙でうなだれた。だが翌年の2017年には、等々力で躍動する背中をずっと見続けていたバンディエラ・中村憲剛とともに、悲願の初タイトルの味を噛み締めることも成し遂げた。