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釜石は「ラグビー人口100%」。
W杯開催地とラガーマンたちの絆。
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byAyako Oikawa
posted2019/01/12 11:00
釜石市ラグビーW杯2019推進本部事務局の長田剛。釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムにて。
「早くラグビーをしてくれ」
震災から1カ月ほどが経ったある日、長田やほかの選手たちはこんな言葉をかけられる。
「もう支援活動はいいから、早くラグビーをしてくれ」
「あなたたちがラグビーをしている姿をみたい」
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被災し、多くを失った人たちからの言葉に、メンバーは心が震えた。
「ラグビーをしてもいいのかな、と思わせてくれたと同時に、釜石の人にとってラグビーがどれだけ大きな存在なのか再確認した瞬間でした」
当時を振り返って話す長田の目は、心なしか潤んでいる。
「この街にシーウェイブスがある意味を感じたし、この街はラグビーで復興するんだ。そう強く感じました」
釜石でのプレーを決めたが。
奈良県出身の長田が釜石に来たのは、ラグビーのためだった。
天理高校からラグビー強豪校の帝京大学へ進学し、その後、関西のワールドファイティングブルに所属。しかし、2009年に経営状況などの理由からチームは休部になった。新たなチームを探していた長田に真っ先に声をかけてくれたのが釜石シーウェイブスだった。
ラグビーの町、釜石には以前、新日鉄釜石という全日本7連覇を果たした名門チームがあった。だが経営状況の見直しにより2001年にチームはなくなり、その意志を引き継いだクラブチーム・釜石シーウェイブスが誕生していた。
同チームについて長田はこんな印象を持っていた。
「将来性、そして可能性があるチームだと思ったので、迷わず釜石行きを決めました」
釜石に向かう在来線で、長田は軽いカルチャーショックを受ける。
「電車からの風景が『世界の車窓から』みたいで。台風じゃないのに強風が吹くと電車が止まるんです。思ったよりも田舎でびっくりしましたね」
街中をランニングすれば、手を振ってくれたり、「がんばってね」と声をかけてくれる。シーウェイブスの試合の応援には毎試合、市民が駆けつけてくれた。やっていけるんだろうか、という長田の心配は杞憂に終わる。