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規定投球回数はもう時代遅れ?
12球団で到達者はたったの17人。

posted2018/12/05 17:00

 
規定投球回数はもう時代遅れ?12球団で到達者はたったの17人。<Number Web> photograph by Kyodo News

2年連続の沢村賞に選出された菅野智之。PR指標で見てもやはり巨人のエースたる数字を残した。

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 私は小学校で九九を習う前から「割り算」ができた。毎朝、新聞のプロ野球欄の「打撃10傑」を見て、打率の計算式を覚えていたからだ。

 このまま、さらに難しい数式も覚えていけば「東洋のガウス」と呼ばれるような人になったかもしれないが、高校に入るころには数学で赤点を取るようになった。当時のプロ野球には掛け算、割り算より難しい算数は必要なかったからだ。一説には私が数学ができなくなったのは、野球の責任だとも言われている(んなあほな)。

 小学校高学年の頃には「規定打席」、「規定投球回数」というものがあることも知った。

 打率や防御率などの「率」の数字は、一定の打席数や投球回数をクリアしないとランキングに載らない。これは当たり前だ。2~3試合なら打率5割の選手はたくさんいるが、50試合、100試合となれば3割でさえも難しくなる。選手の力量は、一定以上の試合に出てこそ比較する対象になるのだ。

 しかしこの「規定なんたら」というのは、時代によって結構揺れ動いている。

規定投球回数が200以上だったことも。

 当初「規定打席」は「規定打数」として設定されていた。野球ファンならご存じだろうが、「打席=打数+四死球+犠打+犠飛+妨害出塁」なので、打数は打席数よりも少ない。1954年、レッドソックスの大打者テッド・ウィリアムスは.345をマークしたが、四球が136個もあったために規定打数に到達せず、首位打者になれなかった。

 選球眼のいい選手が、そのために打撃ランキングに載らないのはおかしいということになって、1957年から規定打席になった。今では規定打席は日米ともに「試合数×3.1」と定められている。

「規定投球回数」はもっと揺れ動いた。戦前の日本プロ野球では投球回数ではなく登板数や完投数で線引きしたこともあった。

 大投手が30勝、40勝と白星を荒稼ぎした昭和30年代には、規定投球回数が200回を超えていた年もある。その基準に今の投手を当てはめれば、規定投球回数に達する投手はほとんどいなくなってしまう。

 1966年から、規定投球回数は原則として「試合数×1」になった。これはわかりやすい(ただし日米ともにトップリーグだけに適用される。マイナーリーグの規定打席は「試合数×2.7」規定投球回数は「試合数×0.8」になっている)。

【次ページ】 規定投球回に達する投手が減少。

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