サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
川口能活がいま引退を選んだ理由。
燃え尽きてはいない、次の情熱へ。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/11/15 12:15
鬼気迫る表情と、やわらかな表情。どちらの川口能活も驚くほど魅力的なのだ。
代表の戦いを見て、自分も次の戦いへ。
「ロシア・ワールドカップをはじめとした日本代表の戦いぶり、それから各カテゴリーの日本代表のアジアでの戦いぶりを見て、僕が代表でプレーしていたときより上のレベルというか、世界で戦える日本サッカーになってきているなと思った。その状況のなかで、選手としてではなくまた違った形で貢献したいという思いが強くなった。それで引退する覚悟を固めました」
彼が言う「違った形」とは、指導者を指す。記者会見では「現場で、指導者として、自分が経験したことを伝えたい」と熱っぽく語った。
アトランタ五輪でブラジルを撃破した“マイアミの奇跡”、フランス・ワールドカップ出場を決めた“ジョホールバルの歓喜”など、川口が日本サッカーの重要な足跡に立ち会っているのは周知の事実である。
それだけに、彼のキャリアは華やかに彩られているとも思われるが、25年の道のりは断じて平坦ではない。むしろ、暗く険しい隘路をひた走ってきた。身を切られるような経験をしてきた。
中東でも、南米でも、中国でも。
たとえば、1997年10月のウズベキスタン戦である。
フランス・ワールドカップアジア最終予選で、日本代表は中央アジアのウズベキスタンを初めて訪れる。シルクロードや世界遺産で有名なこの国は、サッカーへの狂熱に満ちていた。
男ばかりの大観衆が、東アジアからの来訪者に殺意にも似たブーイングを浴びせた。日本代表が初めて経験する真のアウェイで、当時22歳だった川口はプレーした。相手の猛攻をしのぎ、チームに勝点1をもたらした。
たとえば、1999年7月のパラグアイ戦である。コパ・アメリカに招待参加した日本代表は、開催国パラグアイとグループリーグ第2戦で激突する。ほぼ1年前に日本国内で行われたテストマッチでは、1-1で引き分けていた相手である。
それがどうだろう。首都アスンシオンにあるホームスタジアムで対峙したパラグアイは、野獣のごとき獰猛さで日本代表に襲いかかってきた。ピッチを覆い尽くすようなスタンドの熱気がまた、パラグアイの選手たちを勢いづかせる。24歳の誕生日を1カ月後に控えていた川口は、さしたる抵抗もできないままに4失点を喫した。
たとえば、2004年7月から8月にかけて開催されたアジアカップである。ホスト国中国で燃え上がる反日感情は、ジーコ率いる日本代表にも向けられた。選手たちは憎悪の対象と言ってもいいような扱いを受けながら戦い、決勝戦では中国を下して頂点に立つ。
28歳で大会を迎えた川口は全6試合に先発出場し、ヨルダンとの準々決勝ではPK戦で神がかり的なセーブを連発する。大会のベストイレブンにも選出され、アジアカップ連覇の立役者のひとりとなった。