パラリンピックへの道BACK NUMBER
映画『こんな夜更けにバナナかよ』で、
パラリンピックの本質を考える。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by(c)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会
posted2018/10/31 11:10
俳優・大泉洋が惚れ込んだ傑作ノンフィクションが、ついに映画化。大泉はこの役に10キロもの減量で臨んだという。
アスリート達の表には出ない顔。
これまで、オリンピックやパラリンピックの競技に打ち込む選手を取材する機会を数多く得た。
そこで見聞きしたのは、アスリートの、表には出ない顔だ。
練習がうまくいかなければ、周囲で支えるスタッフに当り散らす。怒鳴る。金具のついた道具を投げつけることだってある。
遠征中、「ほかの選手よりも私にいちばんいい部屋をまわしてください」とチームに要求するアスリートもいた。
パラリンピックの競技の場合は、なおさら周囲のスタッフを必要とする。
「車椅子押して」
「車、手配しておいて」
文字にすれば、ぞんざいに思える言葉遣いも飛び交う。
それでも、オリンピックやパラリンピックの選手たちの、周囲のスタッフは支えることをやめない。必死にサポートに徹し、笑顔で、楽しそうでもある。
自然な光景として受け入れてはいても、スタッフは辛くなるときはないのかと感じることもあった。
そうしたスポーツの現場と、鹿野と彼を取り巻くボランティアや家族らの世界は、相通じるものが感じられる。
夢を語ること、生きること。
アスリートは、勝利への欲求を持ち続け、そのために自身をどこまでも成長させたいという強い意思を持つ。しかも……現役でいられる期間が他の多くの一般的な仕事と比べると、決して長くはない。
凝縮された時間だから、悠長にはしていられないのだ。
時間との勝負だ。
遠慮している時間すら惜しいから、周囲に(柔らかい言葉で表せば)「強い態度」を示すこともある。
鹿野もそうだ。
動かせるのは首と手だけ、進行性の病にあっても夢を語り続け、生きたいように生きようとした。