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引退試合を公式戦に組み込むことに
違和感を持つのはおかしいこと? 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2018/09/27 10:30

引退試合を公式戦に組み込むことに違和感を持つのはおかしいこと?<Number Web> photograph by Kyodo News

引退する選手を拍手で送りたい気持ちは誰もが一緒だ。それだけに、スッキリした気持ちで見られる機会を用意してほしい。

試合前やグラウンド整備時のセレモニーでは?

 NPBは「引退試合」がこれ以上拡大解釈されないように、厳格な規定を作るべきだ。大相撲のように引退を表明した選手は以後、公式戦に出場できないようにするのが望ましい。

 その代わりに公式戦の試合前や、5回のグランド整備のとき、試合後などに引退選手のセレモニーの機会を設ければ、ファンに別れを告げることもできる。28人枠を超えたベンチ入り登録は、そのために活用すべきだろう。

 個人的な好みでいえば、昨今の「感動をありがとう」的な引退シーンは、好きではない。プロ野球は実力の世界だ。力が衰えたら、選手は自然に退場すればいいのだ。お別れのセレモニーは、試合後でもオフでもいつでもできる。

引退試合と公式戦に線引きを。

 私が一番心に残っているのは、中西太の引退だ。

 首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回、MVPにも輝いた、西鉄ライオンズ全盛期の大打者だが、彼の引退は、誰も気づかないひっそりとしたものだった。

 1969年、兼任監督だった中西は、この年発生した「黒い霧事件」の責任をとって監督を辞任、同時に選手としても引退した。最後の試合は、10月8日の平和台球場での南海戦、中西は代打で出て凡退。大打者中西の最後を見守った観衆はわずか3000人に過ぎなかった。

 それが中西太の「引退」だったことには、後からみんなが気がついたのだ。彼は寂しかっただろうが、当時の野球人は「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」的な美学を持っていたように思う。

 しかし、中西の功績がそれによっていささかも揺らぐことはない。怪童中西太の名前は、西鉄ファンの心に永遠に刻まれた。1999年には野球殿堂入りを果たしている。

 今の時代、こういうセレモニーはどんどん派手になり、エスカレートする。

 NPBには「引退試合」という「私事」と、「公式戦」という「公事」を峻別し、明快なルールを設定することを期待したい。

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