酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
引退試合を公式戦に組み込むことに
違和感を持つのはおかしいこと?
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2018/09/27 10:30
引退する選手を拍手で送りたい気持ちは誰もが一緒だ。それだけに、スッキリした気持ちで見られる機会を用意してほしい。
昔は引退試合はオフの開催だった。
「引退試合」は昔からあったが、近年、大きく変質している。
昭和の時代の「引退試合」は、野球協約に定められた公的なものだった。
・日本プロフェッショナル野球協約 第97~100条
顕著な功績をもつすべての10年選手は所属クラブとの合意に基づき、かつ最終的に現役を引退するにさいし、希望する地域において毎年11月15日以後エキジビションゲームとして引退試合を主催し、その収益金を取得することができる。
この規定によって、野球殿堂入りするような大選手は、オフに引退試合を開いてもらった。
これは大相撲の「引退相撲」を参考にしたものだ。引退を表明した力士に対し日本相撲協会と力士会は、数カ月後に断髪式を兼ねて国技館で「引退相撲」を行う。その収益は功労金として、引退する力士に渡すのだ。
王さんも野村さんも引退試合なし!?
1975年にこの制度がなくなってからは、引退試合は長い間行われなかった。王貞治も野村克也も、張本勲も、山田久志も、山本浩二も、落合博満も引退試合をしていない。
ましてや公式戦を「引退試合」にすることはまずなかった。
例外は1974年10月14日の中日戦の長嶋茂雄だ。巨人のV9が途切れ、中日の優勝が決まった10月12日に引退を表明した長嶋は、10月14日のダブルヘッダーにフル出場。試合後、後楽園球場のグランドを一周してファンに別れを告げ、有名な「我が巨人軍は永久に不滅です」というメッセージを残した。
長嶋は引退のシーズンも130試合中128試合に出場し、規定打席に達していた。最後の試合に出ることへの違和感は全くない。事実、長嶋は引退当日の第一試合で生涯最後となる444本目のホームランを打っているのだ。