話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
清武弘嗣をみんなが待っている。
ロシアW杯イヤーの始まりは天皇杯。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/12/31 08:00
清武弘嗣ほどマルチロールな中盤センターの選手はそういない。彼の復活を、多くの人が待っている。
清武は昔から、決して気持ちが強い選手ではない。
「(怪我が)何度もなんで、精神的なショックが心配っすね」
誰よりも清武をよく知る山口蛍は、メンタル面のダメージを危惧していた。
清武は幼少の頃から、気持ちが強い選手だったとは言いづらい。
ロンドン五輪代表チームができた時、国際舞台で戦う選手としてメンタル的な強さを身に付けて欲しいという願いで関塚隆監督はキャプテンに清武を指名した。だが、「俺、メンタル弱いんで」はニュルンベルク時代、彼の口癖のようになっていた。
それでも、清武は2011年8月の韓国戦でA代表デビューを果たし、2アシストを決めた。つづくブラジルW杯3次予選の北朝鮮戦でも吉田麻也の決勝ゴールをアシストして、ザッケローニ監督の心をつかんだ。
最初は何も分からず、代表に入った勢いのままにイケイケでプレーし、結果を出した。だが何度か代表に呼ばれ、チーム内のヒエラルキーが見えてくると落ち着かなくなる。
レギュラーではないとはいえ、途中出場でも「チャンスをつかむぞ」と割り切ってプレーできればいいのだが、「いいプレーができなかったらどうしよう」と考えてしまい、ミスをすると切り替えに時間がかかる。
代表招集の電話にそわそわしていた頃。
プレーだけではない。
代表の試合が近づいてくると、協会スタッフから選手に招集の連絡が入る。その時期になると、ドイツで話をしていても携帯が気になって仕方ない。
ザッケローニ監督のジョーカーになっていたのだから、堂々と待っていればと思うのだが「落ちたらどうしよう」とか、「入れなかったからやばい」とか、とにかくネガティブなのだ。
ようやく電話がかかってくると「よかったぁ」とニコニコしているのだが、次の瞬間には「試合出れるかなぁ」「次ミスしたら(代表)危ないなぁ」と心配している。
ザッケローニ時代の清武の中では、クラブよりも代表がすべてになっており、クラブで悪影響がでることを心配していたが、実際2年目からはクラブで輝きを失っていった。