話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
清武弘嗣をみんなが待っている。
ロシアW杯イヤーの始まりは天皇杯。
posted2017/12/31 08:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
こんなはずじゃと清武弘嗣はきっと思っているだろう。
そして、誰もが同じ思いで清武を見ているのではないだろうか。
4度の怪我を乗り越え、ルヴァン杯決勝でもプレーしてセレッソ大阪の初戴冠を喜んだ。調子が徐々に戻りつつある中、12月にE-1サッカー選手権へ向けて、久しぶりに日本代表に招集された。
「さぁこれから巻き返すぞ」という時、練習中の接触による脳震盪で離脱を余儀なくされた。代表の椅子を争うレースは激化の一途をたどっているが、特に2列目は最激戦区になっている。その中、3月から代表を離れていた清武にとって、ロシアW杯に向けたアピールする大きなチャンスだったのだが、その機会を何もせずに失ってしまった。
あまりの運のなさに、何かに呪われているのではないとか思えるほどだ。
いったい、どこで歯車がくるってしまったのか――。
開幕へ向けた大きな覚悟がアダとなった。
すべては、2月のスタート時の故障が出発点になっている。
清武は、大きな覚悟を持ってスペインからセレッソに戻ってきた。海外での経験を活かし、プレーでチームに大きく貢献しなければならないと思うのは当然で、だからこそ開幕からスタートダッシュできるように体を追い込んだ。
だがドイツ時代も怪我が多かったように、それほど体が強い選手ではない。
やらないといけない、という気持ちが強い一方、フィジカルトレーニングの強度が高いユンジョンファン監督の元で無理をすれば、故障につながるのは分かっていたはずだ。
しかし、2月に右臀部に違和感を覚えて清武は離脱した。3月には左大腿四頭筋の損傷、6月には右太もも裏を痛めて2週間離脱。
早く治さないといけないという気持ちが焦りを生み、ピッチに戻っては故障を繰り返した。そして6月25日の仙台戦で左ハムストリング筋損傷という重傷を負い、3カ月間、清武は表舞台から姿を消した。