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「ジョホールバルの歓喜」から20年――。
ラーキンスタジアムの今を訪ねた。
text by
磯貝哲也Tetsuya Isogai
photograph byTetsuya Isogai
posted2017/11/16 07:00
まだJリーグほどはアジアでの存在感が高くないマレーシアのプロリーグだが、サポーター達の熱さは日本に負けていない。
90分間、唄い踊り、跳ね続けるマレースタイルの応援。
キックオフ2時間前、スタジアム前の道路をBOSが取り囲み、選手が乗るバスの到着を待つ。
その数、おおよそ500人。
バスが姿を見せたと同時に吹き上がる発煙筒と飛び交う無数のロケット花火。マレー語で唄われる“I will survive”(2002年のW杯で、日本代表がロッカールームでトルシエ監督と唄っていた“ラの歌”だ)が響き渡る。その光景は、欧州や南米など本場のサッカー大国の雰囲気さながら。そして、そこには暴力、破壊行為などバイオレンスな要素は見当たらなかった(ホームゲームなので対戦相手のファンが皆無だから、かもしれないが……)。
みんな、とにかく嬉しそうに、楽しそうに声高らかに唄い続けている。
もちろん、試合中も彼らの応援が途切れることはない。90分、唄い踊り、跳ね続ける。喜びに満ち溢れている。試合前も、試合中も。
煽り煽られ、唄い続けていて、正直「試合を見ているのか?」と思うほど。それを察してか、隣で見ていたBOSのメンバーが囁く。
「俺たちは試合に参加しているんだ、空気を作っている。わかるか?」
「うん……」と答えてはみたが、わかるようでわからなかった。
20年前も今も、ラーキンスタジアムには熱狂があった。
試合は3-0でJDTの圧勝。対戦相手のケランタンに何もさせず、終始圧倒していた。
試合後、優勝セレモニーがJDTの練習場横の特設ステージで行なわれた。試合終了が午後11時で、優勝セレモニーが始まったのは深夜12時前――。そんな深夜にもかかわらず、ちゃんと花火が打ち上げられ、その儀式は10分近く続いた。
翌日がジョホール州の休日だから特別、だったらしいが、日本であれば、たとえ次の日が祝日でもこれは許されないだろう。
20年前、歴史的瞬間を見届けるために詰めかけた日本人によって、ラーキンスタジアムは歓喜に包まれていた。
そして現在もなお、ラーキンスタジアムはサッカーの熱狂に満ち溢れている。