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米バスケ6校が奨学金オファー。
テーブス海が味わった苦労と進路。
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byYoko Miyaji / the Toews family
posted2017/10/02 08:00
春から夏にかけて行われるAAU大会では、NCAAコーチ陣の目も光る中、アグレッシブなプレーを見せた。
渡米して1年余りたってもオファーがなかった時期。
テーブスがアメリカに渡ったのは2015年夏。それから2年余で6校のD1チームから奨学金をオファーされ、最終学年のシーズンが始まる前に進学先を決定したわけで、傍から見ると、すべてが順調に進んだようにも見える。しかし、実際は悩み、迷い、プレッシャーを感じた月日だった。
何より厳しかったのは、渡米から1年余りたってもD1チームからのオファーがひとつもなかったことだった。一度、D1のチームから興味を持ってもらったことがあったが、その大学のコーチが見に来た試合で、最悪のプレーをしてしまった。見られていることを意識しすぎて、いつものようなプレーができなかったのだ。
「人生で一番ひどい試合だったかもしれない。試合に負けて、僕もひどいプレーをして、その後、その大学からの連絡も途絶えてしまった。その時に、本当に厳しい世界なのだとわかった」とテーブスは語る。
英語はできても、自己アピールに慣れてなかった。
英語が流暢に話せるテーブスだけに、アメリカに簡単に適応できたと思われがちだが、実際には、その点でも苦労したのだという。
「最初にアメリカに来たとき、確かに僕は英語の面では苦労しなかったけれど、常にアグレッシブで、自分をアピールするというやり方には慣れていなくて、苦労した。アメリカのメンタリティはゴーゴーゴーと、いつでもアグレッシブでいることだからね」
常に挑んでいくメンタリティを持ち続けるためには、その結果が良くても悪くても受け入れるということを学ぶ必要もあった。
「結果を受け入れるというのは、この過程で学んだことだった。僕はずっと調子の波が激しく、しかもアメリカに来てからは調子が低迷するときのほうが多かった。
そんな中で少しずつ結果を受け入れることを覚えた。これから起こることを心配するわけにはいかない。全力を出して、毎日やるべきことをやり、成長するプロセスを大事にするように心がけたことで、結果が気にならなくなった。そうしたら、D1のオファーも来るようになった」