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米バスケ6校が奨学金オファー。
テーブス海が味わった苦労と進路。
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byYoko Miyaji / the Toews family
posted2017/10/02 08:00
春から夏にかけて行われるAAU大会では、NCAAコーチ陣の目も光る中、アグレッシブなプレーを見せた。
学校の図書館で勉強していると、1本の電話が。
最初にD1チームから奨学金のオファーがきたのは去年10月末、学校の図書館で勉強していた時だった。携帯電話に、知らない番号からのメッセージが入ったので確認すると、バックネル大ヘッドコーチからで、「話があるので、電話してほしい」という内容だった。すぐに図書館の外に飛び出て電話すると、奨学金のオファーをしたいと言われた。
「あの時は、アメリカに来て2年目でようやくディビジョンIの選手になれた、という気分だった。すごくプレッシャーを感じていたので、本当に嬉しかった」とテーブスは振り返る。
その後、他の大学からのオファーも少しずつ舞い込み始めた。そして、奨学金オファーをもらうたびに真先に知らせたのは、日本にいる父だった。留学中、何か大きなことがあると、いつでもすぐに父に電話するのが習慣だった。時差の関係で日本は真夜中ということもあったが、それでもすぐに電話した。
「UNCWからオファーされたとき、日本では午前3時だったんだ。電話に出てすぐに、『いいニュースなんだろうな。こっちは午前3時だぞ』と言われたよ」とテーブスは笑う。
日本時間深夜のメッセージに父も「オメデトウ」。
父、BTも言う。
「いつも夜中に電話してくるんだ。夜中の1時とか2時に電話がかかってくると、電話に出る前からD1のオファーだとわかった。最後のオファーのときはテキストメッセージで知らせてきたから、私はチラッと見て、『オメデトウ』と返事して、すぐにまた寝たよ」
そう話して苦笑する父だが、D1のオファーをもらうまでに息子がどれだけ苦労しているかは、誰よりもよく知っていた。
「アメリカに行ってからの海を見ている人たちは、彼にとってD1のオファーをもらうことは簡単なことだったと思っているかもしれない。アメリカに行き、プレップスクールでプレーし、D1のオファーを得た。でも、実際はまったく正反対だ。とても難しいことだった。それでも、成し遂げたんだ。しかも、自分1人の力でやってのけた」