ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
引退の宮里藍が会見で迷った瞬間。
「世界1位よりもプロセスが大事」
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byAFLO
posted2017/09/21 08:00
ながらく女子ゴルフ界の顔だった宮里藍。競技の中だけに留まらず、彼女が伝えたことを大切に継承していきたい。
宮里にとって世界1位は「ハプニング」。
高校3年生でプロになり、日本ツアーで15勝。初勝利までに4シーズンを要した米ツアーでも、日本勢最多の9勝を挙げた。年間5勝を挙げた2010年の途中、6月中旬の世界ランキングで申ジエを抜いて1位に到達。名実ともに歴史に残るプレーヤーになった。
夢に描いたメジャー制覇にはついに届かなかったものの、自ら勝ち取ってきた数々の輝かしい記録。それでも彼女が胸を張るのは、そこに至るひとつひとつの過程だという。
宮里は7年前、世界一にたどり着いたことを「ハプニング」だと振り返る。
「情熱を持って、一生懸命練習をして、ひとつひとつの試合に臨んできたけれど、世界ランク1位になったのは“目指してきた”ことというよりは“起きた”ことだった」
プロゴルフは、選手の生涯で白星よりも黒星が圧倒的に多いスポーツだ。もちろん勝利だけがプレーヤーの成功ではないだろうが、日米で24勝を挙げた宮里はその15倍以上、プロの試合で負けてもきた。
勝負中の駆け引きはあるとはいえ、ゴルフは基本的には競争相手のプレーを邪魔することができない。いくら自分が完璧なプレーを見せたとしても、まったく違う組の選手が1ストロークでも少ない打数でホールアウトしていれば、負けである。
大局的に見ると、数々の金字塔も、ひとつひとつの勝利も、他選手の成績とタイミングの兼ね合いがあったからこそ。宮里は頂点に上り詰めながら、ゴルフの無情さのようなものを、謙虚に実感していたのだと思う。
兄・優作の初優勝に涙しての一言。
宮里の最後のタイトルは結局、冒頭の開幕前会見に臨んだアーカンソーでの2012年大会になった。
不思議な縁と言うべきか。兄の宮里優作はその翌年に待望のツアー初勝利を飾り、今シーズンは日本で賞金王争いを演じている。
2013年12月、優作の初優勝の瞬間を現地で見届けた彼女は、東京の冬空の下、黒いダウンコートに身を包み、家族と泣きはらしてこう言った。
「兄は10年くらい、(勝てない間も)腐らずに努力してきた。努力は絶対に裏切らない。けれど(努力が実る)タイミングは残念ながら自分では選べないんです。でも、結果が出ないのに努力を積み重ねるのは本当に難しいこと。自分と向き合う勇気を持っている兄を、人としても尊敬します」
兄への言葉は、周囲からの宮里藍自身への賛辞と同じような気がしてならない。