なでしこジャパンPRESSBACK NUMBER
新生なでしこ、米国で1勝もできず……。
あの猶本光が悔し涙に震えた日。
text by
日々野真理Mari Hibino
photograph byAFLO
posted2017/08/10 17:00
なでしこらしいパスワークには、中盤のクオリティーが必須。その候補者である猶本は今回の悔しさから何を学ぶか。
'12年U-20W杯の中心メンバー、猶本が味わった悔しさ。
チームとして1勝もできなかったことはもちろん、強豪を相手に、本来自分ができるはずのプレーができなかったことを悔やんだ選手も多い。
そんな思いを強くした1人が、猶本光選手だ。
2012年、日本で開催されたU-20W杯では中心メンバーとして注目を集めた猶本。この大会では3位に終わり、表彰式を悔し涙を流しながら見つめていたのが印象的だった。
次は、なでしこジャパンの選手として世界で戦い、今度こそ勝つ――。その思いを強くした。
2011年W杯優勝、2012年ロンドン五輪銀メダルを獲得した当時のなでしこジャパンは、次のタイトル獲得に向けて強化を始めていた。2013年2月には、なでしこジャパンの中堅以下メンバーに加え、メンバー入りを目指す選手たちを招集した“なでしこチャレンジ”、そしてU-19代表、U-16代表が集まり、大分で合同強化合宿が行われた。
U-20代表でともに戦った数名が“なでしこチャレンジ”に選ばれた一方で、猶本はU-19代表のメンバーとして合宿に参加することになった。
ある日、U-19代表の練習を終えたときのこと。隣のグランドで行われていた“なでしこ”のトレーニングを見つめ、唇を噛んだ。ともに戦ってきたメンバーが先に目指すところに近づいている様子に、「悔しいです」とつぶやいた。その数カ月後には必ず将来、自分がなでしこジャパンの中心でプレーをしてみせるという決意を語ってもいる。
「まだ今の自分では足りていないということ。でも、待っていてください」
悔しさを募らせた数年間を経て、巡ってきたチャンス。
なでしこジャパンへの思いをあきらめることはなかった。
猶本は佐々木則夫監督時代に何度か代表に招集されたものの、定着には至らなかった。高倉麻子監督の体制になり約1年が経ったが、チームは同世代、または年下の選手たちも多く選ばれるようになった。猶本は怪我もあり少し出遅れていたが、ここにきてようやくメンバーに選ばれるようになり、今大会にも招集された。
「今回こそは……」
アメリカなどの強豪相手に自分の力を出したい。そんな思いで迎えた。