ドイツサッカーの裏の裏……って表だ!BACK NUMBER
嗅覚と正直の男、クローゼが引退。
代表71ゴールは全てエリア内から。
text by
遠藤孝輔Kosuke Endo
photograph byAFLO
posted2016/11/08 11:30
日韓W杯での5得点でブレイクしたので、日本でもクローゼは馴染み深い。得点感覚、という言葉の権化のような選手だった。
スキャンダルと無縁で、正直すぎる優等生。
もちろん、フィニッシュ以外の仕事を不得手としていたわけではない。前線でのプレスを献身的にこなせば、無駄のない正確なプレーで攻撃を活性化。速攻でも遅攻でも独りよがりなプレーには走らず、いかなる戦術の中でも一定以上の機能性を示した。
そうしたパフォーマンスの根底にあったのは“チーム第一”の考え方だろう。
とかく脚光を浴びがちな点取り屋ながら、ゴールを決めた日のクローゼは「チームメイトのサポート」を口にすることが多く、常に周囲に対する感謝の気持ちを欠かさなかった。
歯に衣着せぬ発言で物議をかもすようなことは滅多になく、愛妻と2人の息子との時間を大切にしている私生活もスキャンダルとは無縁。ドイツ代表のヨアヒム・レーブ監督からは「いつも約束を守ってくれる真のプロフェッショナル」と信頼を置かれた。
まさしく絵に描いたような“優等生”だったクローゼは、自チームに下された有利なジャッジを2度も取り消させた経験も持っている。
1度目はブレーメン時代。本人自らが「自分から倒れただけだから」と申し出て、PK判定を帳消しに。2度目はラツィオ時代。主審に「自分の手に当たって入った」と告白し、ゴール判定を覆させたのだ。
ブンデス得点王、ラツィオのスターという偉大な功績。
そのクラブシーンでの功績の1つが、'05-'06シーズンのブンデスリーガ得点王だ。当時のブレーメンは超が付くほどの攻撃的なサッカーを標榜し、持ち前の中央突破で観衆を魅了していた。
その中でクローゼは司令塔のヨアン・ミクーとホットラインを築き、2トップの相棒イバン・クラスニッチとともにゴールを量産。足下の技術レベルが飛躍的に向上したのもこの頃で、2006年のドイツ最優秀選手賞という栄誉にも与った。
キャリアの晩年はラツィオで躍動。'11年夏の入団後初めて臨んだローマダービーでゴールを挙げるなど、瞬く間にラツィアーレの心を奪った円熟のゴールハンターは、在籍5シーズンでクラブ歴代4位の公式戦64ゴールを叩き出した。
昨季のセリエAで7ゴールを挙げた事実を踏まえても、まだまだプロでやれる――。そう期待したのはファンだけではないだろう。実際、MLSや中国方面からオファーが舞い込んでいたようだ。