Sports Graphic NumberBACK NUMBER
<リオパラリンピックを振り返る>
山田拓朗「貪欲なメダリスト」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2016/11/18 12:00
100mの失速から、気持ちを切り替えての銅。
ところが予選で予想外の泳ぎに終わる。前半こそよかったが、後半に失速したのだ。当日夜の決勝でも、かみあわなかった。結果、8位。順位もさることながら、自己ベストに及ばなかった。
「入りの感覚から違って、自分でもなんでこんなに遅いのか分かりませんでした」
最も得意とする50mを翌日に控えていた。気持ちを切り替えて立て直す時間は少なかった。
「多少はひきずるところはありました。50mも遅かったらどうしようという思いはありました」
山田も言う。
100mからの切り替えは、4大会目という大会そのものへの思いを考えても、容易ではなかったはずだ。難しい局面で、しかし山田は、見事銅メダルを獲得した。
「順位というより、25秒台を出したかった」
「1日しかないので考えても仕方ない。それに感覚的にはずっとよかった。100mが予想外に悪かっただけで、感覚を信じようと。100mも、前半の50mの入りは速かった。そこだけを見ていました。大会そのものへ向けて、4回目で獲れなかったらどうしようとちらつくことはありました。でも今回は不思議な感覚ですけど、メダルが獲れそうな気がしていた。今までの大会だと、周りの選手の威圧感も独特で強そうに見えたり、負けそうな気がする感覚があったけれど、それがいちばん少なかった。年明けあたりから、それまで試行錯誤してきたことの蓄積がうまく形になってきた感覚がありました」
山田はもともと、オリンピックに出たいと思っていた。オリンピックをめざす選手と練習して育った。その中で培われた世界で勝つという高い意識、そこから生まれる取り組みが結実したのがリオだった。試合後、コーチたちが心から喜び、賞賛の言葉を口にしたのは長年の歩みを知るからこそだろう。
だが山田本人は満足していない。目標としてきたタイムではなかったからだ。
「メダルを獲ったことについてはうれしかったけれど、予想していたほどの喜びはなかったです。順位というより、25秒台を出したかったですね」