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2歳の娘に見せたい……銀メダル獲得!
パラリンピック柔道、廣瀬誠の物語。
posted2016/09/09 17:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Shingo Ito/AFLO
それぞれに異なる思いを抱いて、そろって笑顔だった。
9月8日、柔道初日。男子は2階級が実施され、60kg級では廣瀬誠が銀メダル、66kg級では藤本聰が銅メダルを獲得した。
パラリンピックの柔道は、視覚障害者によって行なわれる。健常者の柔道との大きな違いは、まず互いに組んでから試合が始まること。組み手争いが繰り広げられることがないため、柔道本来の投げが楽しめる、と評価する人もいる。
39歳の廣瀬は初戦から、激しい試合を見せつけた。
1分31秒に谷落としで有効を奪うが、2分57秒に出足払い、3分16秒には背負い投げでそれぞれ有効を奪われる。だが3分53秒、払い巻き込みで一本、逆転で勝利をおさめると、準決勝は2分19秒に腕ひしぎ十字固めで一本、決勝へ進む。
相手は世界ランキング1位のシェルゾド・ナモゾフ(ウズベキスタン)。立ち上がり早々、袖釣り込み腰で技ありを獲られるが、その後相手に2度指導。
1分20秒過ぎ、廣瀬は体落としをかけ、流れの中で内股の形になる。そこから返され、技あり。一本負けを喫し、優勝はならなかった。
それでも、廣瀬は穏やかに、笑みを浮かべた。表彰式では、右手に1枚の写真を持ち、うれしそうな笑顔を見せた。
2004年のアテネでの銀メダル以来、実に12年ぶりのメダルだった。
アテネ銀、北京7位、ロンドン4位と、メダルが遠ざかる。
紆余曲折があった。
廣瀬は高校時代に柔道を始めたが、2年生のときに病気から視力が極度に低下。将来を思い、悲観することもあったが、たとえ目が悪くてもできる柔道があることに気づき、それをバネにして再起する。
筑波大学では柔道に打ち込み、アテネで銀メダルを獲得するに至った。
続く北京でもメダルの期待がかかったが、海外勢のパワーに圧され、7位に終わる。
進退を迷いつつも、減量の厳しさなども考慮し、階級を1つ上げて66kg級で挑んだロンドンでも3位決定戦で敗れ、メダルを再び逃した。