中山竹通の名言
僕がやりたかったのは、式が先にあって答えがひとつしかないマラソンではなく、答えが先にあって式は無限にあるマラソンでした。
中山竹通(陸上)
瀬古利彦とともに'80年代の日本マラソン界を牽引した中山は、「僕が目指したのは今までと同じマラソンをしないこと。観ている人の印象に残るレースを作れるかどうかということでした」と振り返る。「瀬古さんが最後のトラック勝負で勝つなら、自分はトラックを出たところで勝つという形に変えていけばいいと。要はマラソンを自分で演出していけばいい」と語り、「30kmすぎからスパートしてきれいに勝つマラソンが出来るのは天才だけで、自分のように能力も素質もない選手が勝つためにはいきなりメチャクチャにして、相手にパニックを起こさせるしかないと考えました」。セオリー通りの走りで勝てないのならば、“感性”の走りで勝つ。こういう発想の選手は、今の日本には見当たらない。
Number905号(2016/06/30)
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