お知らせ
- 3月23日(水)に行なわれた「永谷脩を偲ぶ会」の動画を公開しました。
- 3月29日(火)、「日刊スポーツ」にて『永谷脩の仕事 プロ野球ベストセレクション 珠玉の53篇』が紹介されました。
- 3月25日(金)、「森本毅郎 スタンバイ!」(TBSラジオ)にて、『永谷脩の仕事 プロ野球ベストセレクション 珠玉の53篇』が紹介されました。
- 3月24日(木)、「スポーツニッポン」にて「永谷脩を偲ぶ会」の模様が紹介されました。
- 3月23日(水)、「スポーツ報知」にて「永谷脩を偲ぶ会」の模様と、『永谷脩の仕事 プロ野球ベストセレクション 珠玉の53篇』が紹介されました。
王貞治、江夏豊、江川卓、落合博満、清原和博……超一流の野球人の懐に飛び込み、本音を引き出し、記事を紡いできた伝説のスポーツライター・永谷脩氏が2014年6月12日、急性白血病のため、亡くなりました。
永谷氏が1982年以来、Numberに1000本以上寄稿してきた記事の中から厳選に厳選を重ね、セレクトされた珠玉の53篇。野球をこよなく愛するすべての人に贈る骨太の1冊です。
目次
第1章 インタビュー傑作選
- 江川卓「今年こそ、やるときはやります!」
- 江夏豊「ワシはボロボロになるまで投げたかった」
- 清原和博 第5回「ナンバーMVP賞」決定発表
第2章 江夏豊と江川卓
- 江川卓の告白「あの“空白の1日”から4年たちましたね」
- 誰が江夏豊を責められるか?
- 江夏豊、西武退団から大リーグ入りまでの知られざる44日間
- “流浪の狼”江夏豊 ブリューワーズの43日
- 江川卓「9月20日の涙」
- 江川卓「プリズムの中のスーパースター」
第3章 落合博満と清原和博
- 清原和博「不安が生んだ打撃開眼」
- 19歳の4番打者 キヨハラの天才
- 落合博満の憂鬱
- 清原和博「僕の原点甲子園 忘れ得ぬ3度の挫折」
- 落合博満「俺流の美学」
第4章 パ・リーグ育ちの職人たち
- 山田久志「120kmの快速球」
- 東尾修「250勝、84球完投の“芸術”」
- 松中信彦「4番を支えた信頼」
- 野茂英雄「アウトサイダーの原点」
第5章 若きエースたちの矜持
- 阿波野秀幸×西崎幸広「ライバルよ、めざせ20勝!」
- 伊藤智仁の流麗なる魔球は未だ頂点を極めず
- 松坂大輔とライオンズの挑戦
- 杉内俊哉「彼が背負うもの」
- 斉藤和巳「あの悔しさは忘れられない」
- 田中将大「絶対エース、渾身の302球」
第6章 監督の知略
- 野村克也「ID野球、3年目の収穫」
- 仰木マジック。その10カ条。
- 星野仙一「チームを変えた7つの掟」
- ドキュメント2005.9.29 岡田阪神、温かき優勝
- 2011年日本シリーズ死闘の舞台裏 秋山幸二「寡黙なる男の大いなる決断」
第7章 勝負の分岐点
- エースに何が起こったのか 江川はクスリで敗けた!?
- 清原和博のシリーズ日記「見たか巨人 ボクの涙は日本一!」
- 1998年日本シリーズ激闘譜 谷繁元信vs.伊東勤・中嶋聡「緩急の罠」
- 2000年日本シリーズレポート 長嶋茂雄vs.王貞治「3」と「89」の意味するもの
- 杉内俊哉×木佐貫洋「薩摩の両雄、頂をかけて」
- 楽天野手陣、結束Vの全内幕
第8章 球史を掘り起こす
- ドラフト前夜 江夏・藤王、それぞれの長い夜
- 現代高校球児の「女は野球のクスリです」
- それでも俺たちは近鉄が好きだ! 猛牛たちの伝説
- 緊急レポート 野球は誰のものなのか
- 多摩川と伊東「地獄」が育てた「純正巨人軍」
第9章 対談セレクション
- 水野雄仁×藤王康晴 甲子園のヒーローのプロ入り初対談
- 王貞治×山田久志「黒星デビューこそ男の勲章だ」
- 掛布雅之×江川卓「いつも勝負はストレートだった」
- 権藤博×東尾修「今だから話そう」
- 江夏豊×衣笠祥雄「9回裏、無死満塁のマウンドで」
第10章 王貞治
- バッティングの求道者の視点 王貞治が語る松井秀喜
- 王貞治 ベストゲームを語る「福岡での10年間は球史に残るはず」
- WBC密着ドキュメント 王貞治「もっとも長き30日間」
- ナンバーMVPインタビュー 王貞治「指揮官として生きる」
- 巨人創立75周年インタビュー 王貞治「選ばれし者には使命がある」
終章 永谷脩の“想い”
- 江川兄弟・屈折したライバル 卓と中
- 喜界高校と日高高校中津分校
- 永谷脩、最後のコラム 原辰徳が貫いてきた父親譲りの野球哲学
- 監修者あとがき 石田雄太
- 永谷脩の全仕事リスト
永谷脩・関連コラム
著者プロフィール
永谷脩Osamu Nagatani
1946年4月5日、東京都生まれ。青山学院大から小学館に入社し、後にフリーとして独立。王貞治、権藤博、東尾修、山田久志ら名選手・名監督から裏方まで、球界関係者と広く深い交遊を結び、現場主義に徹した取材で数多くの著書を執筆した。6月12日、永眠。享年68。